Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護26:グループホームへ持って行く写真を選んでいるときに見つけたものーー1978年の手紙?

1978年に母にだした手紙を残していた!

母のいるグループホームに持っていく写真を凄まじい量の中から選んだということを、前回「介護25」で書きました。写真を選別しているときには、昔の写真とともに、思わぬものがでてくるものです。そんなものをいちいち見ていたら、作業が一向に進まないので、できるだけスルーしていたのですが、これだけは、「うっ!」となって、手を止めたものがありました。

古い写真の間からでてきたのは、1978年に私が母にあてた手紙(上記写真:当時のAIR-MAILなので、極薄の便箋3枚に汚い字で書いたもの)です。母はこんなものを残していたんですね。私が母に書いた手紙は記憶の限り、それ以降もまったくないので、最初で最後の手紙かもしれません。今は認知症の母ですが、この時代の母は無論、しっかりしていて、息子のことをえらく心配していたのです。最近は、認知症の母しか頭にないので、しっかりものの母のことは頭の外でしたが、引き戻される感じで、思わず「ほろっ」となりましたね。

内容は、当時、学生最後の夏休みで、アルバイトでためたお金で、1カ月間のホームステイ付きの初めての海外旅行に行ったのですが、旅行会社のツアーパンフレット記載の旅費は出せても、食費や最後の1週間のフリー旅行のホテル代などにあてるお金がなかったのです。そこで、このツアーには、旅費の半額を就職後のローンにする制度が付いていたので、それにして、まだ不安なので、母や兄、叔母のカンパで何とか出発したのでした。

現地に着いて1週間後にこの手紙を出していますが、内容は、①母へのお礼と元気なこと、②何とかお金は大丈夫そうなので、兄に言っておいてということ、③現地でのエピソード(現地では、ROY(ロイ)と呼ばれていることや、ホームステイ先でバスタブだけで、周りはじゅうたんなので頭が洗えないとか、ホームステイ先のおばさんにスープの音をしょっちゅう指摘されるとか・・)

母もよっぽど心配だったのでしょうね。母は、その頃、兄と私の学費や、当時やっていた商売があまりうまくいっていなくて、お金で苦労していた時期と記憶していますので。