Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のこと、2024年6月12日の旅立ち以降のことを書いています。

介護を終え33:喪中はがきと年賀状仕舞いのこと

シンプルな喪中はがき!

2024年11月末になり、母が亡くなったので喪中はがきをどうしようかと思っていたのです。まあ、世の中も変わったし、出すことにあまりこだわる必要もないかと思案しながら、いつの間にか12月が目前になったのでした。

毎年、年賀状を出しているのですが、リタイヤした後は自然消滅やら、先方からの年賀状仕舞いもあり、40枚くらいと少なくなりました。切手も値上げですし、「年賀状仕舞い」を考えながら、母が6月に亡くなったので、年賀状仕舞いと喪中はがきを一緒にやるのもいかがなものかと逡巡していたのです。

すでに毎年、年賀状を交換していても、LINEとかメールで繋がっている人は、それで連絡すればいいのですが、LINEの場合に1対1でないケースもあり、悩ましいのですね。

正月明けの「寒中見舞い」という手もあるのですが、結局、まあ大した数ではないし、私は今は20回の放射線治療中で時間もありますので、出すことにしたのです。久しぶりにWORDの「差し込み印字」を使いました。今や、WORDを使うのは1年に1回のこの年賀状だけになりました。まだ、あまり考えないでも手が先に動くので問題ないのですが、結局2時間半ほどかかってしまいました。ほとんどが、インクカートリッジの交換とか、色の調整とかのプリンターのせいなのですが・・

(補足:どうでもいいことですが、私は年賀状はいつも横書きでシンプル派です。年賀状は干支の無料イラストですし、今回も写真のは郵便局の無料イラストです。年賀状の場合は手書きを追加したりですが、喪中はがきはそういう訳にもいかずです)

ぎりぎり、11月29日に投函できました。

それから暫くして、届いたのでしょうね。まったく母の亡くなったことを知らせていない人から電話があったり、母が亡くなったことを既に伝えてある人でも、久しぶりにLINEで連絡をくれたりということがありました。まあ、ご無沙汰の人は、連絡のひとつの「きっかけ」になっているのでしょうね。有難し。

私の放射線治療は、あと1日で終わります。少しですが副作用がでてきました。でも、何とか普通の生活に支障はありません。アルコールも放射線治療の間は、完全にノンアル生活ですし、趣味のロードバイクはドクターストップです。制約の中でも一番のフラストレーションは、腹部にマークペンで4か所に印を書かれていて、それが消える(マークの上のフィルムが剥がれて)のを避けるために、ゆっくりと風呂に入れないことで、無論、日帰り温泉、温泉にも行けないことですね。ストイックな生活です。まあ、毎月、高額医療費の57600円プラス・アルファの治療費もあるので、仕方がないこともあるのですが・・

母のいた大阪の家が更地になり、売却のために、どうしても行かなければならないことがあります。この件は、また書きますが、売却も遅々として進んでいませんね。

まあ、気長に考えるしかないのです。