Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のこと、2024年6月12日の旅立ち以降のことを書いています。

看護師の朴明子さんの「今日も生きていた」という記事を見て思ったこと?

2026年9月20日、ストーマ閉鎖326目です。

世間では「シルバーウイーク」の2日目ということらしいですが、この「シルバー」というネーミングは「敬老の日」に近いこともあったようですが、我々シルバー世代からすると良い印象ではないと思いますね。何とか変更できないですかね。

こちらは台風25号の影響で風がキツイだけで、くもりで晴れ間もあります。最高気温は28.2度とで、まあまあ過ごし易い日です。

 

晴れた!!

 



 

昨日19日の日経新聞で「今日も生きていた」という看護師の朴明子さんの記事がありました。2018年に希少がんの「上顎洞がん」で「余命1年」を告知されてから治療が奏功して8年が過ぎたと書いておられます。

www.nikkei.com

私は、日経新聞の連載もずっと読んでいます。私も一応「前立腺がん」患者ですので、いずれは「がんが耐性を獲得」(去勢抵抗性がン)するのは想像できます。幸いにして希少がんでもなく、標準治療もあって、今は無事に生きてはいますが、いつかは限界を迎えます。その意味で、がん告知後の生き方はそれなりに今までとは変わったと思いますね。

母が亡くなり、実家の家仕舞いも墓仕舞いもそうです。もし私ががんにならなければ、もっとゆっくりでも良かったのです。それに身の回りのものも減らしてきました。

私の場合に確かにがんと闘っても勝ち目が薄いので、「共存」に近い考えに変わってきました。余命をいつも意識します。これからの「大きな人生の設計」なんてできません。気持ちの上での「拠り所が必要」なのです。でも毎日悶々とするばかりです。

この朴明子さんは、そんながん患者の悩みひとつの答えを提唱されているようで、少なくとも私は参考になりました。抜粋します。

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・・・・私は限りある人生を「よりよく生きる期間」として再構築する「余命デザイン」という考えを提唱している。・・・・

「がんになって失ったものに目を向ければ落ち込む。今も医療用麻酔と神経節への注射で痛みを何とかコントロールしている。死や再発への恐怖は完全には消えないずっと恐怖を消そうとしていたが、今は「恐怖と共に生きる」と考えている。朝が来れば「今日も生きていた」と感謝し、「今日」をデザインし続けるそれが死と隣り合わせで生きることだと思っている。・・・・

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朴明子さんのがん患者としてのこの8年間のことを思うと、私のがんなどは、大したこともないのです。記事ではお歳はわかりませんが、まだお若いと思います。どれだけ悩まれたのか、どれだけ考えられて、この境地に至ったのかが、同じがん患者としては、少しだけですが想像できます。

とにかく前を向くしかないようです。

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。今日は、ホットフラッシュはなかったのですが、倦怠感と、あの不安感、違和感はありました。もう「いつ何があってもおかしくない」と毎日腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。

 

映像の世紀「がん 人類最大の敵との闘い」を観て思うこと?

2026年9月16日、ストーマ閉鎖324目です。今日も昨日と同じで、朝からは曇り小雨が降ったり止んだりです。最高気温は24.1度と半袖では少し寒いくらいでした。

今日は9月7日に放送されたNHKの映像の世紀で「がん 人類最大の敵との闘い(敗北と希望の繰り返しの歴史)を録画で観ました。

 

 

news.yahoo.co.jp

私の母は2024年3月に、私はその翌月4月に「がんの告知」を受けました。母が腎盂がん、私が前立腺がんでした。遺伝なのでしょうね、泌尿器系です。

今回の映像を観て、人類が1960年代に月へ行き人間とがんとの闘いも月へ行くのと同じで「当初はそんなに時間がかからずに解決すると思っていた」ということがよくわかりました。

当時は、乳がんではできるだけ大きくがんを切り取るのが基本でした。外科医はとにかく最大で切っている場面があり、患者はその手術によって腕も動かせず生活への支障が多く出たのですね。また、根拠の乏しい治験化学療法、放射線治療などの試行錯誤も膨大な数でありました。

また、アメリカでの小児がんの募金からの小児病院の設立をしたものの、ほとんどが短命に終わったというナレーションがありました。丸山ワクチンのことも出てきました。

がんがそもそも遺伝子の自己増殖とわかるまでの数多くの試行錯誤がありました。でもそうした犠牲の上で、そのメカニズムが分子レベルでわかり始めたのですね。

この番組では、キュリー夫人から多くのがん研究者が出てきました。本庶佑さんも出てきました。ゲノム解析や画期的な分子標的薬がひとつの大きな革新、ターニングポイントなのでしょう。

そんな膨大ながん患者の歴史をわかりやすく解説しています。がん告知をすべきかの議論もごく最近のことなのですね。あのアナウンサーの逸見さんも出てきて、久しぶりに観ました。あの頃から本人へのがん告知が当たり前になったのですね。この番組は、がんの歴史書のようなものです。

それでもがんは、まだまだわかっていなくて、一方で突然に有効な薬、治療法が出てくることもあるのです。まあ生きてさえいれば、新しい療法がでてくるということでしょうね。

前立腺がんについては、他のがんに比べて進行が遅いので私も助かっています。幸いにも、手術、放射線、ホルモン療法と複数の標準治療もあります。でも、未だに「がんが一旦、耐性を持つ」ということに関しては、まだまだ完全ではありません

また、希少がんでは、症例も少なく蓄積がなく、まだまだ長い道のりなのです。でもこれも突然のブレークスルーもあるやもしれません。

私の友人で、血液のがんでも、ゲノム解析でヒットした分子標的薬があって、今は何もなかったかのような生活をしているケースもあります。

日本では100歳以上の方が10万人を超えたと海外でも話題になっています。がんを克服したら人類はどうなるのでしょうかね。うーーん。

edition.cnn.com

 

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。今日は、いつもあるホットフラッシュ、胸が詰まような感じ、違和感はなぜだかありませんでした。でももう「いつ何があってもおかしくない」と毎日腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。

昨日の岡山のヒルクライム大会に参加して考えたこと?

2026年9月14日、ストーマ閉鎖322目です。今日は朝からずっと雨でした。気温は29.8度で、湿度が90%以上のムシムシした日でした。

昨日は、岡山の西粟倉ヒルクライム大会がありました。

今回の参加に至る経過ですが、2年前の2024年4月に前立腺がんの告知がありました。なお、その後のすぐの6月には母が亡くなりました。私のがん告知後は、すぐにホルモン療法を開始しました。この治療は簡単にいうとほぼ男性ホルモンをゼロにするのです。そんな中でも最後のライドとして、2024年9月1日にこの西粟倉ヒルクライム大会に参加し、完走できたのでした。私には思い入れのある大会です。

またその大会後すぐの10月に、最後のロングライド旅仙台から山形蔵王までの120キロを走ったのが、ロードバイク旅最後になりました。

その後2024年10月末からは、放射線治療を1か月受けました。暫くして、からだの調子が悪くなり、2025年1月10日には、ストーマ(人工肛門)造設になりました。以降ストーマ閉鎖10月28日までの10か月間はストーマ生活でした。その後はなかなか体調が戻らずでした。もちろんロードバイクもまともに乗れない日が続きました。

でも何とか、今年2026年の春くらいから少し距離を伸ばしたライドができるようになりました。そんな中の8月10日にネットでこの大会のエントリー記事を見つけて思わず「ポチって(エントリー)」しまったのでした。

8月10日から坂道の練習を始めました。11回、延207キロを走りました。でも9月4日に左の股関節にある「腸腰筋の炎症、損傷」で痛みが出てきたのでした。それ以降はAIドクターの助言通りに1回だけ1時間で24キロのライドをしただけで、本番を迎えてしまったのです。

そして昨日は、朝6時半から車で片道100キロ運転して、大会に参加しました。

 

 

(スタート地点)

 

結果は、一応「完走」はしたのですが、そもそも無理をしない、「頑張らない」と予め決めていたので、途中の激坂で足をつき、数十メートルは歩いたのでした。でも幸いにも「完走」はできたのですね。

このレースの詳細はNOTEで書きました。

 

note.com

昨日の14時からの帰りで車を運転しながら、また、1日経った今日によくよく考えると、今の体調で「よく頑張ったかな」と思うようになりました。

 

さて本題、

大会はエントリーで120名ほどの参加者だったのですが、たまたま70歳代の参加者は、ゼッケンで「」と書いてあって7名でした。今までの大会のリザルトもアップされていますが、70歳代は、だいたい10人未満でした。

今回のリザルトを見て思うのは、50歳代31人、60歳代11人で、70歳代7名で、これってどんどん年と共に淘汰されていくような数字だなあということですね。私もですが、いつか参加を諦める時が誰でも来るということですね。

今回、たまたまスタート前に私に声を掛けていただいた「F」の70歳代のひとりの方がいました。少しですが話をする機会がありました。この方から「私は78歳」ということを聞きました。車で片道200キロを運転して来て、前泊したこと、「乗鞍(ヒルクライムで日本で一番有名な大会)は中止になって残念だった」という話をされていましたね。びっくりでした。私の記憶として、いままでこの大会では、80歳代の参加者は記憶にないので、きっとこの方が最高齢ではと思ったのですが、リザルトを見て、はやりそうでした。

とても78歳には見えません。凄いお元気そうです。そこで少し勉強させてもらいました。軽そうな有名メーカーのバイクに、私よりも大きなギアがついていて、その詳細も伺いました。機材の選択と、もちろんそれに見合う「とてつもない練習の賜物」だと思いました。

じっくりリザルトを見て、さらにびっくりしました。この方は最高齢78歳70歳代で2位でした。さらに、完走者100名の全年齢中(10歳代以上)でもなんと「66位」なのですね。これは凄いことです。唖然としました。

ちなみに、私ですが、70歳代最下位で、100名中99位、ブービーでしたね。(下の表がHPにあるリザルトの抜粋)

 

赤のアンダーラインが私です!

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。今日は、ホットフラッシュ、胸が詰まような感じ、違和感がありました。昨日の大会では忙しくてなかったのですが。

もう「いつ何があってもおかしくない」と毎日腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。

安野貴博さんの「松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記」を読んだ!

2026年9月9日、ストーマ閉鎖317目です。昨日も今日もほぼ終日、雨でした。最高気温は26度で湿度も高く、空も暗くて鬱々とした日でした。

 

今日は、安野貴博さんの「松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記」を読み終えました。2024年7月発行です。著者は、いまや国会議員で、T首相にAI指南をしているあのチーム未来安野さんです。

私はほぼ現職の政治家の本は読まないのですが、たまたま移動図書館で、「AIスタートアップ」が目に留まって借りたのでした。長編386ぺージでしたが、展開が早いので面白くて、ほぼ一気で読めました。これだけの長編を書く才能というのは凄いと思いました。

 

 

(以下多少ネタバレあり)

ひとりの女学生がある会社でインターンをしていて、内定だったのにそれを取り消されたことをきっかけに「起業」するストーリーです。

この女学生がまるで彼氏のように、家でAIと会話を交わし、それ以外の複数のAIもいて名前をつけて「育てている」のですね。

私のスマホでも「喋るAI(シャープのエモパー)」には、時事問題を中心に毎日喋ってもらっていますが。それに私の家のパソコンのAIには、私のがんのことや、症状や治療のこともよく訊いていますので、今までの私のデータをよく覚えていて、理解してくれているのはわかります。

正解なのかどうかはともかく、少しだけですが「AIを育てる」感覚はわかります。

 

でも、今のAIがどこまで進んでいて、この小説に出てくるAIが現在のものなのか、そうではなくて近未来のものなのかが、私にははっきりわかりませんでした。それにこの小説がかかれたのは2023年頃ですが、この3年で結構進んでいるようなのですね。

この本では、「AIにフリマアプリの値切り交渉をさせてみたことがあった。意外にも、悪くない結果だった。」(P.111)とありましたが、これって今はどうなのですかね。

最近見たテレビで、過去の著名な人達がAIで映像になりその人として会話もできるようなことも言っていました。この小説でもでてきますが、亡くなった人であっても何等かのログからその人の人格に近い会話ができるようなことは、あるかもしれませんね。私の場合は、このブログがログになるかもですね。そういえば、母は細かい字で大量に書いた膨大なノート、手帳を残していましたが・・

まあでも、そのうちにこの小説の方が遅れている社会になっているかもです。

 

一方で、この小説は、起業の厳しさがどんなものかを訴えているようです。「3Σ(サンシグマ)」ですね、「せんみつ」、すなわち1000に3しかないほどの困難さとでてきます。ワークライフバランスのことも最初はでてきますが、実は経営者には、時間外という概念もなく、当然ですが自身のやりかた次第なのですね。小説の主人公ははほぼ働きづめです。だからこれから起業しよう、経営者になろうという覚悟のある人が読むべきものでしょうね。「生ぬるい」人生ではないのです。少なくとも大多数の学生向きではないと思いますね。

 

ところでこの小説のストーリーで私が気になったことがあります。それは、投資家が100万円を投資した場合に、その契約に「1年以内に企業価値10億円にする」という設定なのですが、その場合のペナルティで「未達成なら1億円の債務」という仮定で小説が進行していくのですね。私はどうもこの契約がいくら契約自由とはいえ、行き過ぎ(公序良俗違反)ではないかと思うのですね。

 

それで私のPCのAIにも訊いてみましたが、やはり少し無理がある、すなわち利息制限法違反とか、公序良俗違反とかの余地はあるような回答でしたね。

まあでも、そんなことは横においても、この小説自体はスピード感もあるし、ひやひやしながら「早く次を読みたいという気持ちになる」ような類の面白い小説だと思いますね。

まるで漫画の連載を読んでいるような感覚でした。★★★★⋆

あっという間の1冊でした。

 

これを読んでも、私にはどうもAIの仕組みプログラムロジックがどうなっているのかもっと図形的にわからないのですね。うーん何かないでしょうかね。

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でも、ホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じがありました。今日の朝6時半の血圧は、123/92、脈56でした。下が90以上というのは、2022年5月以来です。今日の体調はイマイチです。もう「いつ何があってもおかしくない」と毎日腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。

雨の中、「紫の花」を持って母の墓参りへ行った!

2026年9月8日、ストーマ閉鎖316目です。今日はほぼ終日、雨で、鬱々とした日でした。最高気温は27.7度、湿度は終日90%超えでした。今のニュースでは愛知県にレベル5氾濫特別警報発令ってテレビで出ていますね。うーんどこも大変そうです。素早い危険回避を・・

 

一昨日からどうも体調がおかしいのです。ホルモン療法の影響でホットフラッシュ倦怠感に加え、胸が詰まる感じに近い、何か「イヤーな、息ができなくなりそうになる不安な感じ」もありました。このうまく表現できない違和感は何なのでしょうね。今日の天気と同じで、すっきりしません立ちくらみも少しありました。

 

今日9月8日は、実は亡くなった母の誕生日でした。それで昨日にたまたま紫の花を見つけたので買ってありました。母は紫色が好きで、服から装飾品の小物にいたるまでほぼ紫色が入っていましたね。

 

デンファレっていう花です

 

私は、墓参りはお盆と、あとは気が向いたときや、何か報告したいときに行くという緩いスタンスにしています。このブログでも書きましたが、大阪のお寺の協力も得られず、2年前に何とか墓仕舞いをして今の家から車で10分の市営墓園の合葬式墓地に両親と兄のお墓を移したのでした。

royue.hatenablog.com

 

今日は朝からの雨が結構激しくて逡巡していましたが、13時前に意を決して雨の中をお墓に行ってみると、少し小降りになって助かりました。

生きていれば95歳です。母には、私はまだ暫くは「そっちへ行きたくないのでよろしく」と言っておきましたが・・

 

 

まあこうやってほとんど家でおとなしくしていましたので、昨日は、中谷美紀さんの「インド旅行記2 南インド編」を読み終えました。

 

note.com

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(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でも、ホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じありました。今日の体調はイマイチです。もう「いつ何があってもおかしくない」と毎日腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。

ブレディみかこさんの「女たちのテロル」を読んで思う先駆者のこと!

2026年9月4日、ストーマ閉鎖312目です。

昨日まで秋は本当に来るのかと心配していたら、台風のせいで昨晩はエアコンも不要で、少し寒くて布団をしっかりかぶりました。今日の最高気温は25.5度って本当にびっくりしました。

先週末に図書館で借りた本ですが、一昨日にブレディみかこさんの「女たちのテロル」を読み終えました。2026年1月の文庫本です。

 

 

ブレディみかこさんの本は私は3冊目です。イギリス在住で、この本の中で、「『底辺託児所と勝手に名付けた託児所に勤めていた」(P.272)と書いておられて、イギリスの階級社会のことや、貧困家庭の育児等のテーマだったので、どの本も私は興味があって読むようになりました。私はほぼ半世紀前ですが、アルバイト漬けの学生生活の最後の夏に、母にも直前まで言わずに、学生ローンを借りてほぼ1か月間、イギリスに行きました。それでイギリスファンですし、ブレディさんの目線、あの苦学生の目線が好きなのですね。

 

この本は今からほぼ100年前、ほぼ同時期のイギリス人ふたり日本人ひとり3人の女性の話です。3人が同じ時代に、女性の差別にどう抗ってきた、闘ってきたかが、時系列で書かれています。

まず一人目は、イギリスで、女性の参政権運動活動家で何度も投獄されたエミリー・デイヴィソン、二人目は、アイルランド独立運動で女性で銃をとったマーガレット・スキニダー、それに三人目は、日本の中での女性の社会での不平等を命がけで訴えた金子文子です。

 

金子文子のことは、以前読んだブレディみかこさんの小説「両手にトカレフ」の中で、イギリスの少女の話で、その少女がこの日本人の金子文子の伝記を読んでいた話だったので覚えています。今回、この小説を読んで詳しい金子文子の生い立ちからテロ計画(実行なし、大逆罪)で起訴、拘留、判決の詳細を知りました。(関東大震災が1924年9月1日で、2日後の9月3日逮捕

 

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金子文子は日本で生まれた時から戸籍も作られず、親に見放され、朝鮮にいた祖母のもとに送られるも女中扱い、いやまるで「女」というより「人間扱いされない」のですね。日本の中でも「最底辺」という生活です。でも、その実体験を書くこと、考えることに関しては、ほぼ哲学者並みなのです。ろくにまともな教育も受けることもできなかった20歳そこそこの女性なのですが、それが極めて頭が良いのが書かれたものや裁判記録でわかります。過酷でリアルな生々しい記述には凄いものがあります。

 

一方、エミリー・デイヴィソンは、イギリスで女性の参政権を得るために自らを犠牲した活動家でした。このエミリーの犠牲の上に、今の女性の参政権があるということです。

マーガレット・スキニダーはスコットランド生まれのアイルランド人の両親のもとに生まれ、教師だったのですが、アイルランド独立運動で女性の狙撃手としてして1916年の独立革命「イースター蜂起」に参加した革命家でした。彼女達の思いがアイルランド独立を勝ち取ったということでしょうか。私の世代だと、独立後のアイルランドの北部での宗教上の争い、IRAによるテロ活動は記憶にまだ新しいのですが・・

 

私はイギリス(マーガレットはその後アイルランド)の2人の女性については、この本を読んで初めてその名前を知りました。金子文子も含めて広い意味での女性の革命家という、共通点、それも同じ世代の革命家ということなのでしょうね。

今の世の中でも女性やLGBTQを取り巻く制度で、まだまだこれはおかしいとか、納得がいかない差別であったり、不平等がありますよね。人が皆、朗らかに、幸せに暮らせる世の中にするために、誰かが口火を切る必要があるのでしょうね。この本では、そんな口火を切った先駆者達辛く、苦しいストーリーがあったということでしょう。

昨日、ネットの記事でアメリカのフェミニストの記事を見ました。この本を読んだあとですので、まだまだ私の知らない「活動家」が多くいます。女性の参政権からまだ100年、これからもまだまだ課題があると思います。

edition.cnn.com

また100年も経つのにいまだに、女性の就業での差別の記事もたくさんあります。

www.nikkei.com

もちろんアラブの国々中には、100年前と同じような立場の女性もまだまだいますが・・

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。ホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じはありませんでした。でももう「いつ何があってもおかしくない」と腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。

母がよく言っていた国民年金のことを思い出した!

2026年8月30日、ストーマ閉鎖307目です。

今日の最高気温は34.0度でした。雲が少しありましたがこの気温です。暑いです。秋はあるのでしょうかね。

今日のニュースは、ネパールの土石流の行方不明者3000人のこと、富山、石川県に続き、福井県の豪雨のことでいっぱいです。そもそもの温暖化、異常気象の原因と対策を早急にすべきだと思いますね。戦争をしている場合ではないと思いますが・・

 

さて、本題。

2024年に92歳9か月で亡くなった母は、幸いにも国民年金(基礎年金)だけですが掛けてくれていたので、約74万円の終身年金があったので、介護する私としては、それだけでも本当に助かりました。

 

母の年金通知が残っていました!

 

母はよく「勤め人の方が、将来の年金が多い」というようなことを言っていたと思います。母の実家は商売をしていましたし、自身もそうでした。一方で母の親戚で役所勤めや教師もいて、細かい年金のことはわからなくても、肌感覚でそう思ったのでしょうね。それでも、ほぼきっちり国民年金を掛けていました。残念ながら父は57歳で亡くなって掛け損」になってわずかな遺族一時金だった時に、少し不満を言っていたことを思い出しました。まあ当時の平均寿命もあって、国民の大部分は国民年金は「掛けても無駄」ぐらいに思っていたと思いますね。

そんなこともあって、私には「勤め人」になることを暗に薦めたと思うのです。

国民年金は、簡単に言うと20歳から60歳までの480か月の期間を月毎にきっちり納付し、全期間を納付していれば、満額の約84万円/年なのです。(金額は、最近アップデートできていないのでAIに訊きました)

母の場合に、全期間はないにしても、当時としては掛けるのも大変な時代ですから、まあよく掛けてくれたと思いますね。感謝しかないです。

一方の私は、母の望み通りに勤め人になりました。残念ながら大学在学中の期間は、国民年金を掛けるどころではありませんでした。(追加納付もせず)

それで1浪もして、23歳7ケ月から働きましたので、全期間480か月の内、3年7か月43か月)不足で、84万円✕437/480なのです。その後セカンドキャリアで厚生年金を少し掛けた(同時に国民年金も加入制度有)ので、多少はプラスでも480にはなりません。まあこういう簡単な仕組みでわかりやすいのです。

一方の「勤め人」の厚生年金ですが、これは、給料から結構な金額が引かれましたが、今になればとにかくこれも終身年金なので有難みがわかります。もっとも会社も私と同額の拠出をしてくれたわけです。これも感謝です。

厚生年金ですが、この年金額は、報酬比例部分といって、勤め出した時の給料からずっと毎月の記録を持っていて、まるで40年以上の人生の「給料履歴」というか「成績表」みたいなものだと思いますね。だからあまり、厚生年金額は人に訊いたり、尋ねたりするものではないと思いますね。

その計算方法ですが、例えば私が勤め出した1979年4月初任給は10万円だったと思います。数字が簡単だったのでよく覚えています。厚生年金は、この10万円を今の相場に合わせる「再評価率」を掛ける(まあ現在価値のようなものにする)のです。AIに訊くと、1978年の再評価率1.62を掛けると162000円なのです。まあ今の大卒の初任給以下で、あれって思いますが、これは年金反映額なので別物と思えば良いのです。

この162000円に、7.125/1000(0.7125%)を掛けた1154円が、私の報酬比例の年金額なのですね。幸いにして給料は増えていきましたので、毎月の給料でこの計算を40年なら480回して、その合計額(面積)が実際の厚生年金額、報酬比例部分の額になるわけ(複雑なのを敢えて単純化しています)ですね。なお、2003年までは、この7.125ですが、2003年以降は、5.481に下がりますのでご注意ください。

それと、今はダブルインカムが多いですが、夫婦の場合は、報酬比例部分は、育児や家事や介護等で十分に働けなかった部分は、相方に感謝とともに、名義によらず本来は夫婦二人の年金とするか、夫婦で按分すべきものと思いますね。

国から定期的に届く年金通知ですが、もっとわかりやすく、具体的に書けないですかね。特にこれからの長寿命化で若い人は、毎月の給料の総和(組み入れ上限あり、今は65万円以上)が年金額に比例することだけでも、示すことが必要と思いますね。あの再評価率がわかりにくいのですが。

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。ホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じありませんでした。でももう「いつ何があってもおかしくない」と腹を括って生活しています。お腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。昨日は35キロのライドもできて、缶ビールも1本飲みました。がんの大敵である肉類、乳製品等の食事制限もしていません。2025年にストーマを10か月経験したので、これだけでどれだけ幸運なことか毎日確認しています。