Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護134:骨折から2週間・・母は無言で痛みに耐えているが

2024年5月4日に転倒し救急搬送で、92才腎盂がんステージ4の母が5月10日に大腿骨骨折の手術で、手術は乗り切ったものの、転倒後2週間ずうっと、無言で痛みに耐えています。

*******************************

痛みに耐える!

2024年5月17日、4月10日の手術後2回目の面会です。15時からなので、14時半に家を出ました。今日は女房も行くというので一緒です。

車で行くと病院の面会の場合は、駐車料金(1時間毎200円)が発生するので、すぐ斜め前にあるスーパーの駐車場は買い物をすれば2時間は無料なので、そちらにしました。

受付で紙をもらい母のいる5階へ行くと、たまたま、前に見たリハビリの看護師さんともう一人年長の看護師さんがいたので、母の様子を聞いたのです。血圧は142と高く、脈も速いのです。母は、前回同様に痛そうで、目の下がくぼんで黒くなっています。私から「痛いんやろ、我慢せんと痛いんやったら看護師さんに言うんやで」と言うと、頷く元気もなさそうです。私から看護師さんにも、「この人(母)は、痛いと思っても言いませんが、たぶん痛いのでしょう。何とか痛みをとってあげてください。この病院の地域医療連携課のYさんから緩和ケアの先生にも診てもらうと聞いています」と伝え、「今後はどうなるのでしょうかね? このまま緩和ケアの病院に転院とかもあるんですか?」というと、「抜糸が術後10日にありますが、早い場合でもそれ以降に転院するということはありえます」とのことでした。私から「このような状態でほぼ寝たきりでも転院ってするんですかね?」と聞くと、「そのようなケースもあります」とのことでした。その折に年長と思える看護師さんから、「今、転院の場合に、一旦元の施設に行ってもらった上になるか、そこの手続きがあるように聞いています」とのことでした。

私としては、とにかく母の痛みをとってほしいのです。方法論はともかく。帰り間際に私は、母の手をとって「痛いんやったら言うんや!」っていうと、母は、意外にはっきり「わかった」と答えました。頭は苦痛のためでしょうか、ある意味クリアなのかもしれません。

92才にもなって骨折をしてから2週間経っています。その間、ずうっと痛みに耐えている母が不憫でなりません。手術を選んだのは私です。それが最善と思ったからです。あのままでは、ベッドで座ることも車椅子に座ることさえできなかったのですから・・

面会の時間は10分のみです。看護師さんがいたからまだ情報を得ることができました。母だけならほとんど新しい情報は得られなかったでしょう。今回は規則の「1分超過」で母のベッドを離れました。結局、そのほかにも聞くべきことがあったのに、特に食事をどの程度食べれてるのか等、やはり予めメモを書いて行くべきでした。

帰りに病院のフロントの近くにある地域医療連携課のYさんを訪ねましたが、面談中とのことで、忙しそうなので次回にすることにしました。

夕方18時前にCグループホームのHケアマネから電話がありました。私の報告(面会のレポートをメールしたのです)を見て、「お母さんが、痛みを我慢して何も言わないのを読んで泣きました」とのことでした。その電話の折に、どうも母を一旦、Cグループホームに移して(多分実際に行くような言い方)、その上で緩和ケアのF病院に転院という話があったそうです。私としては、今いるA市民病院でできなければ、F病院でもどこでも、とにかく早く適切な緩和治療を望むばかりです。一番苦しんでるの母なのですから。形式的に一旦どこかに行くってどういう意味なのでしょうね。また、HケアマネからA病院の地域医療連携課のYさんにも電話をして、母に会いに行くような話をされたようですが、Yさんからは「少しめどがついてから」とのことになったようです。

バックヤードでは色々な人が動いているようです・・・

介護133:面会禁止が解除!・・大腿骨骨折手術後5日ぶりに母に会う!

92才で大手術の2日目からリハビリ?

腎盂がんステージ4の母が2024年5月4日に転倒で大腿骨骨折で、5月10日に手術し、何とか手術を乗り越え、12日からリハビリと聞いています。5月15日の朝に病院に電話をすると、昼過ぎに電話をかけ直してほしいと言うので、12時半にかけました。

ナースステーションに繋げてもらい「10日の手術後から面会もできないので、今の状況を知りたいのですが・」というと、「13日から面会ができるようになっています!、15時から17時まで10分間のみです」とのことです。びっくりです。13日ならすぐに知らせてくれればと思いました。その日は私は近くにいたのにと思いましたね。「それで予約をすればいいんですかね?」と聞くと、予約は不要で受付で申請書に書いてもらうだけとのことでした。その折に、電話に出た看護師さんから、「あまり食べられないようです。」とだけ言われました。なお、面会の再開のことはその後、病院のホームページを見ると書いていました。多分、最初にもらった書類のどこかに書いていたのでしょうね。私のミスです。

私は、すぐに行くことにしました。15時からなので、14時半に車で家をでて、15時過ぎに病院に着き、早速母のいる5階にいくと、「今、ちょうどリハビリに行かれましたので、ここで待っていてください」と言われました。でも、私は1階のエレベータの横にリハビリ室があったのを思い出し、それなら覗いてみることにしました。

たまたま、そこで連絡が入ったのか、母の担当の理学療法士のIさんという方から声をかけられ、母のリハビリの様子を見ることができました。

まず、母が車椅子に座っているのにはびっくりしました。でも、母に笑みはありません。2人に介助されながら平行棒に腕で支えて足をつけさせているようです。今日は2回したらしく、すぐに終わって病室に戻るので、1階から、一緒に病室のある5階まで上がりました。病室で今度はベッドに母を寝かせるのですが、これもまた2人で支えて大変です。母は終始、しかめ面でした。まだ縫ったところだって完全に止血できていないだろうにと思いました。その時、びっくりしたのは、母の足が浮腫で2倍以上になっていたのが、元の34キロの時のように細くなっているのですね。テーピングらしいのですが、「こんなに締めて大丈夫なのでしょうかね」と聞くと、「先生の指示通りやっています」との回答でした。びっくりです。私からは、「手術後、こんなすぐにリハビリってするんですか?」と聞くと「同じ骨折では、皆、すぐにしますね。」とのことでした。また、私から「92才って最高齢ですか?」と聞くと、「いや、もっと高齢の方もいます。リハビリもします」とのことでした。

その後、二人になって、母に痛いのかと聞いても無言です。もう腕さえ動かすのも辛そうです。「座れるようになってるやん。手術しないとそれもでけへんかったんやで。痛かったら痛いって看護師さんに言うんやで」と言うと、母はそれに答えず、「ここはいつまでいるの?」と聞くのですね。「あと、2~3週間くらいかな?」というと少し落胆した様子で、「もう、はよあの世行きたいわ」と言いました。頭は、結構クリアだと思います。辛いのでしょうね。うーん、どうしようもないですね。

その後、ベッドの横に、入院の時に持って行ったお菓子類が紙袋にそのままの状態で置かれていました。中をみると、ビニールに入れたバナナがそのままで腐っていました。すごい臭いです。紙パックのコーヒー牛乳もそのままです。

まあ、ベッドで横になれるだけですので、横に置いてある紙袋まで手は届きません。また、テレビがあるのですが、リモコンもベッドの端にかけたままですし、私が買ったプリペイドカードは挿入されていましたが、イヤホンもさっきの紙袋に入ったままです。私がテレビを見れるように一応セットして、チャンネルを母がよく見る「6」にしてイヤホンを母の耳に入れてみて、聞こえるか確認をしました。でも、そもそも今の状況では、かろうじて手が動くだけですので、「今はそんなどころではない!」と、恥ずかしながら、この時初めてわかりました。やはり行ってみて、実際に見るに越したことはありません。

まあ、そんなことで約1時間ほど病院にいて帰ってきました。

帰宅してすぐの夕方17時頃に、さっきまでいたA市民病院の地域医療連携課のYさんから電話がありました。Yさんから開口一番、まず面会ができるようになったお話がありました。でも、私はさっき行ってきたばかりです。その後、母の状況を私から説明すると、Yさんは、病院内のイントラで業務日誌を見ているのでしょうね、母は、お腹が痛いと言っているようなのです。私が母と喋った時は、母は何も言いませんでした。また、面会時には看護師さんとも話ができませんでしたので、あの痛そうな顔は、手術の痛みとともに、腎盂がんの痛みなのかなあと思いましたね。Yさんからは、緩和ケアのことについて、Cグループホームの提携クリニックの紹介での今までの2病院の見学の経緯を聞かれました。今後は、A市民病院内の緩和ケアの先生にも入ってもらうとのことが今日の電話の目的のようです。病院は縦割りなのでしょうね。私はすぐにでもとお願いしました。また、余命のことをどう聞いているかと聞かれたので、A診療センターでのがん告知の内容(月から年単位の間)を伝えました。

そもそも私は、母が痛みで苦しまないようにしたいのですが、母は私の前では頑張るのでしょう。何度も「痛いなら言って」と言っているのですが・・・

介護132:驚愕!大手術翌日に病院からの要請!・・リハビリの靴が必要って?

靴を届ける!来院申請

2024年5月10日に母は大腿骨骨折で人口骨を入れる大手術を無事に終えたのですが、病院は面会ができませんし、母はガラケーを持っていますので、充電器を後から持って行きましたが、もう母は受信できませんし、メールもできなくなっています。まあ仕方がないのですが、手術後の状況がわからないのです。

手術の翌日の午後に病院から電話がありました。内容は、「リハビリをするので靴を持ってきてほしい」とのことでした。あの大手術の翌日で、それもまだ大きな傷口も30針近く縫っているのに、どういうこと?って思いました。その日はもう遅かったので、明日12日(日)に届ける旨返事しました。

翌12日は、朝9時に家をでて、A市民病院に行きました。日曜日ですので時間外入口から守衛さんに目的を告げ、5階の東病棟ナースステーションに行くと、看護師さんに怪訝な顔で見られましたね。まあ休日ですから仕方がないのですが、忙しそうです。ちょうど交代後の時間なのでしょうね。仕方なく目的を告げ、「ところで母の具合はどうですか?」と聞くと、まあすぐにはわからないようでした。そこで「リハビリって、まだベッドに起き上れるとかの状態じゃないですよね?」と聞いたのです。そしたら「足を地面につけるリハビリですね」というのですね。

まあ、忙しそうなので、それ以上聞くのはやめました。実は、その日は「母の日」だったのですが、私自身の病気のこともあって全く忘れていました。でも、せっかく靴を持っていくので、家にあったチョコレートとお菓子類を小さな袋に入れて持って来ていたので、その看護師さんに、「これ、腐らないものですので、母に渡してください。」と言って渡してきました。

翌日13日の午後にCグループホームのHケアマネから電話がありました。「おかあさん、どうですか」って? もちろん答えようがないですよね。「あんな大手術で、面会もできないし、かつ本人は電話もできないし、取れないし、メールもダメなので、一切情報は取れませんね。おまけに病院にも頻繁に電話するわけにもいかず、困ったものです」と言うしかないです。

その後、Hケアマネから再度私に電話がありました。手術前に、病院内の「地域医療連携課」のYさんに連絡したところ、Yさんは不在でしたが、他の人から「昨日からリハビリを始めている」とのことがわかったという連絡がありました。どうも病院内のイントラで、毎日の報告をこの部署でも見れるようですね。

まあ、それだけわかっただけでも、ひと安心なのです。

介護施設の場合は、病院ほど敷居が高くなくて、その日の様子も聞けばすぐ教えてもらえるし、施設の緊急時以外は連絡してくれるでしょうが、病院はそういうわけにはいきません。まして自分から電話やメールもできないのですから。

5月15日、今日で手術から5日目です。私は朝8時半に病院に電話をしました。代表電話なので、5階の東病棟へ繋いでほしいと言うと、「ご用件は?」と聞かれました。当然そうなのですが、さらに「緊急な用件以外はお繋ぎできません」とのことでした。まあ事情を話し、「じゃーいつ頃電話すればいいですかね?」と聞くと「昼頃がいいと思います」とのことでした。

病院ですから、仕方がないのですが、あんな大手術をして、ひよっとして母は苦しんでいるのではないかと思うのです。でも病院の事情からすれば、どうにもできないのでしょうね。コロナの時と同じです。なにか解決する方法はないのでしょうかね。ベッドから1歩も動けない人への何等かのアクセスで、素人なりには、時間を決めて電話やLINEを繋ぐとか、自動応答のアレクサを時間決めで繋げるとか、簡単な業務日誌の閲覧でもいいのですが・・・

介護131:腎盂がんの92才母の大手術(大腿骨骨折)・・成功か?

A市民病院の手術室前

2024年4月30日早朝に、Cグループホームで転倒し、救急搬送された母の大腿部骨頭部骨折の手術の日が今日5月10日です。

母は5月8日に熱がでて37.7度あり、担当のY先生から手術ができないかもしれないと電話があったのですが、5月9日の16時頃に、熱は37度まで下がり、予定通り行うとの電話があったのでした。

それにしても、母のあの下半身の浮腫で元々34キロが47キロになっていて、下半身のみがパンパンの状態ですので、あんな状態で手術して本当に大丈夫かと不安の方が勝ります。あのY先生の自信のある言い方は、一体どこから来ているのでしょうね。不思議ですが信用するしかありません。私は、最悪の場合!にこれから私が対応すべきことで頭がいっぱいになってしまうのです。一応、不測の事態を想定し、LINEのつながっている近い親戚2人に、これから手術であることと、「母はきっと生きると思います」と書きました。自分でもわかりませんがそう信じようと思いましたね。

手術当日の朝10時前に、担当の看護師さんから電話がありました。病院からの電話には、ついつい神経質になります。電話では、母の前の手術がなくなったので、当初14時45分からでしたが、前倒しで13時半からとなり、12時半に母のいる5階のナースステーションに来てほしいとのことでした。その後、女房と二人、車で家をでて12時半に行くと、病院内の電話(ガラケーみたいな)を渡され、13時半ごろには、これで連絡するので手術室のある2階に来てほしいとのことでした。そこで母に会えるようです。

予定通り13時30分に手術用のベッドに乗せられた母に会いました。すぐに私とわかったようです。私から「麻酔の注射が痛かったかも知れへんけど、また座って食べれるようにしてもらうねん。頑張りや!」とだけ声をかけました。母は辛そうな顔ですが、すぐに機敏に!に少し頷くような表情でした。

それから女房と病院内で約2時間、時間をつぶすことになりました。連絡は、最初に渡された病院内の電話(ガラケーのような)でする由でした。待っている間にこの病院内の地域医療連携課?の人(Yさん)から電話があり、どうも一昨日に母がお世話になっているHケアマネが来た時に会っていたようで、母の事情を知った上で、今後の相談に乗るとのお話がありました。私から「リハビリで暫くは老健ですかね?」と聞くと、「まず手術が成功してからそれも含めて相談しましょう」とのことでした。私は病院の組織には疎いのですが・・まあ有難いことです。

手術が終わる15時半頃に手術室の2階のフロアに行って待っていました。その後、すぐに電話があり、暫くして先生が手術室からでてきて、「手術が終わりました。予定通りこれ(人工骨頭置換骨)を入れました。」と言って、レントゲン写真を見せてもらいました。それが下の写真。

右が人口骨をいれた状態

また「出血が360mlでした。だいたい他の人は280ml程度ですが、お母さんの場合はあちこち具合も悪いので、まあ多いと言えば、私の力がなかった?としか言いようがないですが・・」と少し笑みを浮かべて言われました。Y先生は何かすっきりした感じで喋っていましたね。2時間の手術を成功したっていう顔ですかね?

それと先生から、「一応、今日から明日までHCU(high cure unit)で様子を見ます。お母さんに後で会ってもらいますが、また連絡します」とのことでした。

私としては、Y先生の顔つきを見て安心しました。もし何かあれば、あんなさっぱりした顔をしませんね。多分、成功したんだなと思いました。

その後、17時半ごろまで待って、上から管がいっぱいぶら下がっていて、そこら中に医師やら看護師さんが大勢いる部屋(ここがHCUなのでしょう)に案内され、カーテンで仕切られた一角の中に入り、ベッドにいる母に会いました。母に会うと、すぐに私とわかったようで安心したように思えました。「良かったな。また食べる時に座れるし、歩けるで」と言うとわかったようです。顔は少し色白になったようで、皮膚もつやがあり、手術後すぐとは思えないですね。看護師さんからは、「左足の指も動かせますし、自分の名前も言えて意識レベルも高いです!」と明るい声でした。また、その看護師さんに「何か心配なことはありませんかね?」と聞くと、「意識もしっかりされているので大丈夫だと思いますが・」とのことで、大手術の割にあまり心配されていない様子でした。

まあ、短時間ですが、会えてよかったです。帰り間際に母に「我慢せんと、痛い時は言うんやで」とだけ言いました。

92才であんな大手術をしても、しっかり反応する母を見て「この人は強いなあ」と思いました。でも、まだしばらくは安心は禁物でしょうね。なにせ、ステージ4ですので、いつ癌が活発になるかわかりません。

今日は12時に家を出て、帰ったのが18時半でした。まあこんなもんです。

(補足)

Hケアマネと電話で話した折に、母がなぜベッドから自分で歩こうとしたのかについて、「お母さんは、入歯(上下総入れ歯)をしていない顔を見られるのを極端にいやがりはります。だからいつも起きるとまず入れ歯を取りに行きはるのです。いつもきちっとしてはるので・・」

まあ、92才にもなってそんなことを気にするんですね。芸能人かよ?と思いました。

介護130:私の生検結果は?・・前立腺がんステージ?

2024年3月1日に92才の母が腎盂がん(ステージ4)を告知され、4月30日に介護者の私が前立腺がんの告知を受けました。老老介護、癌癌!介護となりました。

***********************************

ホルモン治療の薬の説明書

今回は、私のことです。

2024年5月8日、今日は県立がんセンターに生検の結果を聞きに行く日です。前に書きましたように、4月30日の生検の最中に担当のS先生から「前立腺がん告知」は受けていますので、今日は生検(細胞をとってがんの有無と悪性度を調べる)でのグリソンスコア(がんの悪性度)と今後の治療(先生は根治治療というが・)についての相談です。今日は女房が一緒です。

朝8時半に着いて、尿検査のための尿採取のみで診察を待ちます。10時頃に呼ばれました。いつも思うのですが、S先生のうしろで話を聞いて無言でキーボードをたたく看護師さんがいるのは、なぜでしょうね。どうも病院のしくみというか体制がわかりません。

私と先生はある程度の認識は共有していますので、最初の段階でS先生から「グリソンスコアですが、5+5で10でした。」というのです。1週間前の生検の最中での話では、確か私が「6から8ぐらいですかね」と聞くと、S先生は「PSA132ですし、高悪性の可能性があるので7か8ぐらいでしょうかね」との回答でした。それが「10」って、1から10ですから最高の値です。ということは、私の前立腺のほとんどは悪性のガンで覆われているということになりそうです。CTを見せてもらうと、幅約30mmの前立腺のほとんどがまだら模様の同じ色で、これが全部がんという訳です。私とほぼ同じPSA130代のブロガーでグリソンスコア8の方の記事に「全体の中の20mmくらいががん」というのが記憶にありましたが、私の場合はさらに悪いようです。また、CTで膀胱に浸潤しているがんも見せてもらいました。これは膀胱のちょうど真ん中の下に比較的小さなまだらの灰色の部分らしいのですが、前立腺に比べれば小さながんのようでした。

私からS先生に、「TNM分類は、T4ですよね?」と聞くと、S先生は、「そうです。」の答えです。先に書いた私と同じような前立腺がんのブロガーの方は、「T3b」でがんが精嚢へ広がっているケースでしたが、私の場合は、「がんが精嚢以外の隣接臓器である膀胱に広がっている」ので、さらに悪いT4です。ですが転移はないので、がんの分類であるTNM分類は「T4N0M0」となり、ステージ3となります。

また、私から「水腎症」のことを聞きましたが、S先生からCT画像を見ながら「確かにここに白く見える水腎があるのですね。でももっと大きい人もいるし・・」ということで、相変わらず原因は不明です。

その後、S先生は、今後について、「当面ホルモン療法(内分泌療法)を6カ月やって、放射線治療ですね。ホルモン療法は、注射は「リュープリン」(リュープロレリン酢酸塩で商品名がこれ)、飲み薬は「カソデックス」(ビカルタミドで商品名がこれ)で、この後に「ニュープリン」を打ってもらいますね」とのことになりました。私がまさか今日から始めると思っていなかったので、ちょっと戸惑いましたが、転移の心配もあるのでまあ早いに越したことはありません。また、ニュープリンは3カ月に1回注射すればいいのですが、取り敢えず1か月分を打って様子をみてから次の機会に3カ月を打つことにする由です。まあ、副作用もあるのでしょう。

私から「前立腺のほぼ全体ががんならどうやって放射線を当てるのですか? またX線だと膀胱のがんには届きにくいのではないですか?」と尋ねると、「ホルモン療法でまず前立腺を40ccから20ccくらいにします。同時に膀胱のがんも小さくなっていますので、それから360°角から前立腺全体に放射線を当て、その後に膀胱にも当てます。皮膚にも当たるので、多少は影響がでますね」とのことでした。

また、私から先生に、「副作用で私は特に”鬱”が心配です」と聞くと、「人によって違いますね。出ない人もありますし・・」とのことでした。今回は約20分程度話を聞きました。まあ予め用意してきた質問はクリアできたと思います。

その後、1階で薬剤師さんに薬の説明を受けに行きました。時間があったので、もってきた「前立腺がんの本」(下に記載の本)で調べると、今日処方された薬が掲載されていました。標準的な処方ですね。

そもそも前立腺がんは男性ホルモンで成長するので、それを止めるのがホルモン療法(内分泌療法)です。今回処方の「リュープリン」は、LH-RHアゴニスト薬とあり、素人の私の解釈ですと、まあ大量に男性ホルモンを作る命令を出し、4日間出し続けさせて(これは一旦増えるのでフレアアップと呼ぶ由)、その後に枯渇させる方法のようですね。

同時に前立腺に入ろうとする男性ホルモンにキャップをしてブロックする飲み薬の「ビタルタミド」を併用するやり方(CAB療法と呼ぶらしい)で、この本にも掲載されていて一般的なようです。

薬剤師さんは丁寧に10分くらいかけて説明頂きました。私は話し易そうな方だったので、「この薬では、鬱になるので高層階に住んでいる人は心配という記事を見たことがあるんです。大丈夫ですかね?」と聞くと、「??人により副作用は違いますね・・」でした。ちょっと不適切な質問で、言ってから反省しましたね。また、車の運転の可否について聞くと、そのことは説明書(名称?)には書いてありませんとのことでした。

その後、2階に行き、「ニュープリン」の注射となりました。注射した場所に薬剤が残って徐々に浸透していくのですね。。最初は左のお腹の肉を少したるませたところに、次は右のお腹、次は左の背側と場所を変えて打つのですね。そんな注射は初めてでした。まあ何とかすぐに終わりました。

そんなこんなで12時過ぎにすべて終了し、会計を済ませました。4月からの県立がんセンターでの費用は、高額療養費織り込みでも入院の食事代等あり76,740円、近所のTクリニックが11,490円、計88,230円也。うーん必要経費にしては、任意保険もなく懐に効きます。

2024年5月9日、ホルモン療法を始めて2日目ですが、今のところ副作用はありません。「リュープリン」は4日間は、男性ホルモンを目一杯に出し続ける(フレアアップ)と本(下の本です。これは本当によくまとまっています!)には書いていますので、これが切れるまでは、きっと「男っぽい」のかもと素人ながら思いますが・・

 

待合室で

 

介護129:入院中の母に異変?・・手術に暗雲!

各フロアにあるテレビのプリペイドカード販売機

2024年5月7日、母がCグループホームで転倒による左大腿骨(骨頭部)骨折でA市民病院に緊急入院をして4日目です。この日は、連休明けで支払いや書類の提出もあり、私は朝9時から母が救急車で最初に行ったF病院に行き、支払いを済ませ、次に入院先のA市民病院に車で向かいました。実は昨日6日に母に必要なものがないか、それと、ここではテレビはプリペイドカードを買えば見れることを聞いたので、母も見たいかと思い、ナースステーションに電話をしていたのでした。母はもちろん電話にはでれないので、看護師さんを通じて聞くしかないのですが、親切な男性の看護師さんがわざわざ母のところに行って、テレビがみたいということを聞いてきてくれました。

そこで、家でイヤホンと延長コード(テレビの位置がわからないので)を集め、その上で、近くのドラッグストアでお菓子などの差し入れを買って持って行ったのでした。

イヤホンと差し入れのお菓子類

A市民病院では最初に「入院保証人の記名押印のいる書類」の提出を済ませ、11時半頃に母のいる5階の東病棟のナースステーションの前に行ったのですが、ちょうど昼前で忙しそうでした。何とか近くの看護師さんに言って、母がいるか聞いたのですが、検査中とのことでした。また、テレビのことを聞くと、このフロアのエレベータの横にテレビのプリペイドカードの購入機がある由で、すぐに2000円分を買いました。今は面会はできないので、持ってきた菓子類とイヤホン、テレビのプリペイドカードを母に渡してもらうようにお願いをして帰りました。

2024年5月8日の17時頃に、母のいたCグループホームのHケアマネから私に電話がありました。緑内障の目薬が残っていたので、わざわざA市民病院まで渡しに行ってくれたのです。Hケアマネ曰く、何と!母にベッドで会えた?とのことでした。私は家族なので、「一般」につき面会はできないのですが、Hケアマネはまあ「医療関係者」扱いに近いのでしょうね。びっくりです。顔を見るとHケアマネということがわかったとのことで、「最初は大阪のことを話されていて判らなかったようですが、私とわかると普通に会話されていました」とのことでした。また、ベッドは15度くらいの角度で頭の部分を上げていたとのことでした。少し頭を上げても、食事も大変なのでしょうね。

Hケアマネが看護師さんから聞いた情報では、「おしめ」は二人がかりで交換してもらっているとのこと、明後日10日の手術については、腎盂がんのステージ4の診断をしたA医療センターに血栓とリクシアナ(血液をさらさらにする薬)のことについては、まだ問い合わせ中とのことでした。

また、「ベッドの前のテレビは倒してあった」と言うのですね。前日に私が買ったテレビのプリペイドカードとイヤホンは、セットされていないようです。まあ看護師さんは忙しいのでしょうが・・・。面会ができれば私がセットするのにと歯がゆい思いですね。自分で動けない母は、テレビも見れず、自分から不満や声もあげる性格でないので、ただ耐えているのでしょう。

2024年5月8日にこのブログを書き始めた夜20時半頃に、私のスマホに、A市民病院の母の担当のY先生から電話がありました。こんな遅い時間に何事が起こったの?っていう感じです。Y先生が、まず母の今日の体温が37.7度であること、A医療センターに血栓とリクシアナの問い合わせをしているが回答がないこと、そのこともあり、同じA市民病院の泌尿器科の先生に母の腎盂がんの状況と手術のことを聞いたことの連絡です。

どうも明日の母の体温次第では、明後日10日の手術は危険度が増すので手術をやめることもあること、同じA市民病院の泌尿器科の先生の見解は、今の段階では、がんが飛んで血栓になっていることもあり余命は1か月から数カ月かと聞いたこと、今回の手術は危険度が高いこと(すなわち最悪を覚悟せよの意味?)を話されました。でもY先生としては、このままでは寝たきりになるので、明後日10日の手術は、今のところはするとのことでした。

また、手術の時間を聞くと、10日の14時半からとのことで、私は病院で待機することを伝え、14時に5階のナースステーションに行くことにしました。なお、明日に何等かの連絡がなければ、手術は予定通り10日に行うとのことでした。

今の状態では母の気持ちは聞けません。万が一のこともあり得ます。辛いですがこのまま緩和ケアというケースもあり得ます。何が正しいのでしょうね。Y先生は手術に自信があるように思えましたので、任せるしかない状況です。

これより先は入れない!

介護128:母が転倒で救急車で搬送される・・大腿骨骨折って?

大腿骨骨折!

2024年5月4日、世間では4連休の2日目の土曜日の朝6時半に私のスマホにCグループホームから電話がありました。この時間の電話ですから何かあったなとピンときました。母が朝、着替えを済ませ、ベッドから入歯を取りに行こうと立ち上がった後に転倒して動けないことと、救急車を呼ぶべきかという連絡です。また、担当のYさんは、「救急車を呼びますか?」と私に質問するのでね。私は頭がぐるぐる回り、「ひょっとしてYさんはこのまま緩和治療のみを考えているのかな?」と思ってしまいました。Yさんは、すぐに提携のSクリニックの看護師さんにも連絡するというので、私はそれなら看護師さんの判断に委ねることにして、すぐに着替えをして急いで車で向かいました。

15分ほどでCグループホームに着くと前にはすでに救急車が止まっていました。フロントは誰もいず、2階で複数の人の声がしているのですが、勝手に入るわけにもいかず、暫くすると担架に乗せられた母が救急隊員3人とエレベータで降りてきました。私はその後、救急車の中で名前や住所や病歴を書き、隊員の質問に答えたのですが、その時に母の腎盂がんのステージ4のことと、ホスピス見学のことを言ったので、このまま緩和ケアの可能性もあると勝手に判断し、見学にも行った総合病院でもあるF病院のことを話しました。その上で、隊員の一人がF病院に受け入れ可否を電話で聞き、OKの返事がありで向かうことになり、私は車で追いかけることになりました。

7時過ぎにF病院に着くと、祝日なので誰もいませんが、救急の先生と看護師さんがいて対応してもらえました。でも結局8時半に担当の整形外科の先生が診ることになり、9時頃になってレントゲンをとっての診察になりました。先生から「大腿骨の上部(頭骨)がポキッと折れていて手術しなければならない」、また「連休で入院も含め手術ができる病院を2つ当たってみる」ことを言われました。結局、母のがん診断をしてくれたA診療センターはダメで、もう一つのA市民病院で受け入れができることになり、再度、救急車で母を運んでもらうことになりました。

祝日で誰もいない病院

またも9時半頃に救急車がきて、私が救急車に入り事情を説明し、1回目同様に車で追いかけることになりました。

A市民病院に着くと休みなので夜間入口から入り、またもやレントゲンを撮り、診察になりました。母はその間、「痛い、痛い」を連発するのですが、どうしようもない状態です。担当のY先生から、骨折と今の状況の説明を受け、手術に関し30分以上かけて細かな説明を受けました。

その内容は、まず、手術をしないと座ることもできなくなるし、寝たきりになり、ご飯もその状態で食べるしかないようなことを言われました。また、手術は大腿骨の先端の頭骨を「人口骨頭置換骨」にする手術で、高齢者の骨折はほとんどこれで、ここでは年間170くらいこの手術をしている由です。この骨折の一番の問題は、骨の中の動脈が骨折部分で断裂することで、「がん」だろうと私の母のように下半身が浮腫でパンパンな状態であっても、また多少の病気があっても手術はすべしとの言い方でしたね。もちろん母が腎盂がんの下大静脈への浸潤で浮腫により体重34キロが47キロとなり下半身にこの差の13キロがあることも伝えています。また母の場合のリスクとして、浮腫もありますが、母は血栓対策で血をサラサラにする薬(リクシアナ)を飲んでいるので先生はこれが気になるようでした。最後に私から、「この手術では、母が最高齢でしょう?」って聞くと、先生は「105歳でもこの手術をやりました。」と言うのです。うーん、一瞬「本当かいな?」って思いましたが・・

まあ、そこまで言われるのであれば、手術の1択です。
今のところ、今日入院で、手術は10日、以降3〜4週間で退院のスケジュールとのことでした。まあこれは予定であって、どうなるかまだわかりません。

その後、手術のための署名する書類が何と12枚もありました。(下の写真)まあこんな時代なのでしょうね。

12枚にサインした!

母と私はその後に5階の病棟に行き、私はここでサインした書類を渡し、日用品等の必要なものの説明を受け、14時前に母と別れました。ここのA市民病院は、最近コロナが出て、入院者への面会はすべてできないことになっています。今度会えるのは1か月半後でしょうか? きっと私も忘れられてしまうでしょうね・・

私が入れるのはここまで!

結局、今日は朝6時半から14時半までかかりました。私は昼前の隙間時間を利用してブランチとして、病院の売店でパン1個とコーヒーで済ませたのですが、母が何も食べていませんでした。入院病棟の5階に行く14時前に1階の緊急対応の看護師さんから何か売店で買ってあげてくださいねと言われていたのですが、入院後にすぐにCグループホームで今処方されている薬をもらいに行かねばならないこととか、準備等があったので、私は母の食事のことを全く忘れていました。結局、母にパンと牛乳、バナナ、栄養ジェルを渡したのは15時半頃になってしまいました。「母さん、ごめん」です。

そういえば「母さん、ごめん②」の松浦晋也さんが歩んだ道、すなわちグループホームでの忙しい対応と同じになってきたような。

これから、今のCグループホームがそのまま入れるのかとか、その場合の費用や今回の入院の費用等、問題山積の状況です。