Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のこと、2024年6月12日の旅立ち以降のことを書いています。

家仕舞いで遠くになった親戚に半年ぶりでLINEをした!

2026年7月3日、梅雨が続いています。

実は、埼玉に住んでいる叔母(母の妹)が、母の命日6月12日に電話をくれていました。年始以来でいつもこの日に連絡をくれるのです。有難いことです。この叔母ですが、LINEができませんので電話のみなのですね。まあ叔母は夫婦とも元気そうで安心しました。その時に、大阪の親戚の話もありましたが、限られた人の情報だけでした。

大阪に母がいた時や、私が母の介護で大阪に車で通っていたときは、近くに住んでいる母の兄弟と何人かの親戚には予め連絡することもありましたが、まあ突然に寄ってみたりもよくしました。逆に「近くにきたから寄った」という具合にその親戚が家に来てくれたりしました。

でも、私が大阪の実家を売却した以降はそんな関係はなくなりました。まあ遠くになるとそうなるのでしょうね。どんどん距離がでてきます。しかたがないのです。

でも、気にはなります。私は今年、年賀状仕舞いもしました。せめて私が生きている間は、まず母の存命の2人の高齢の叔父・叔母と、T姉さん(血縁ではないが私にとってほぼ姉)と付き合いのある親戚には、できるだけ連絡をとりたいと思っています。「時候の挨拶」というか、私と親戚の「生存確認」なのですが。

それで、今回、半年毎にLINEで連絡してはと思ったのです。でもこれをやるとなると文章でなかなか悩みますね。

結局、まず義叔母(叔父はスマホ使えず)宛に、悩んで作ったのがこれ!長文になりました。まるで手紙です。

悩んだLINEの文面!

暑中見舞いの時期に出すのもありますが、7月でちょうど半年で、母の命日が6月だし、ちょうどこれくらいでどうかと思います。

これをもとに、LINEが繋がっている親戚の2人にも同じようにLINEをしました。

その後、皆さん、すぐに回答がありました。これで「細---いLINE(糸)」を繋いでおきます。

実は父方の親戚もそうなのですが、兄弟が多くても、色々な複雑な事情お金離婚ここでなかなか書けないようなもろもろの問題があって、もうほぼ糸が切れてしまった親戚も結構あります。昔は法事や慶弔でよく連絡がありました。これももう母の時代でほぼ糸が切れそうです。

私の「いとこ」でも連絡が取れるのも少なくなりました。私ももう古希を越えましたので、私の娘たちはいったい誰を覚えていて、将来、糸が繋がる親戚がどれだけいるのでしょうね。ほとんどいないでしょうね。NHKの「ファミリーヒストリー」でもないかい限り、もうどんどん消えるのでしょうね。

 

(あとがき)

私は、6月26日の大雨の中、大阪での飲み会とその後のJRの帰宅で50分のところを4時間かかったのが原因なのか、咳と鼻水が出だし、風邪薬を飲んだら、眩暈がして歩けなくなりました。前立腺がんのホルモン治療で免疫が弱くなってきて、風邪薬が効きすぎるのですね。それが今日7月3日になり、やっと収まり、峠を越えました。やれやれ・・・

黒柳朝さんのチョッちゃんの「バァバよ大志をいだけ」を読んだ!

2026年6月27日、ストーマ閉鎖230日目です。こちらは昨日は警報が出る大雨で、今日は台風7号と8号が通過しました。

実は昨日の大雨の中、夕方から大阪で友人との飲み会があって行ってきました。寛げたのですが、帰りのJR神戸線が大幅に遅れていてひどい目に会いました。私が20時50分大阪駅に着いて、家に帰るまでに、普通なら50分のところ、4時間もかかり今日の午前1時に家に辿り着きました。そのことはこちらで書きました。

 

ameblo.jp

さて本題。

一昨日25日に、黒柳朝さんのチョッちゃんの「バアバよ大志をいだけ」という本を読み終えました。なんと1992年4月の再編集版だそうで、2023年4月発行です。たまたまブックオフで見つけました。

 

 

 

初版はもう34年前に書かれたものです。黒柳朝さん、黒柳徹子さんのお母さんです。1910年(明治43年)生まれ黒柳徹子さんが1933年生まれなのです。黒柳徹子さんは今年93歳なのにはびっくりです。お元気そうです。

私の母は1931年生まれで、黒柳徹子さんより2歳年上で、一昨年2024年6月92歳で亡くなりましたが、このブログでも書いた通りです。

著者の黒柳朝さんは、私の母方の祖母と同じくらいですね。

この本を読んで、この人のユニークな生き方に感心しました。医者の家に生まれ、音楽学校でご主人と知り合い、そして結婚。ご主人はバイオリニストでした。

戦前にご主人は招集で中国へ、そしてシベリア抑留で何と5年間の抑留の後に無事に帰国されているのですね。これにはびっくりでした。

 

私は黒柳さん一家は、そもそも裕福なご家庭と思っていましたが、とてもそんなふうではないのです。大変な苦労をされていることを知りました。

戦争中の青森への疎開のことも書かれています。もののない中での子育てのことや、戦後、ご主人が無事帰国されてから何と47歳で男の子が生まれたことも、ユーモアを交えて書かれています。普通は書きにくいテーマ「夫婦のご関係?」のことも、47歳での出産に絡めて!?書かれています。

さんは、70歳を過ぎてから徹子さんの影響もあったのでしょうね、本を初めて書かれたそうです。英語も勉強されました。それで講演では世界中から呼ばれて行かれている様子もよくわかりました。

 

少し引用します。

<本を書いたこと>

・・私は70歳を過ぎてから本を書くようになったのですが、もともと家事や子育ての合間に、思いついたことをちょこちょことメモしておくのが好きでした。・・パパの悪口とかも 自分だけわかるように暗号で書いておくのです。夫婦間の喧嘩のことも「昨日は大火事、今日はボヤ」とか・・・そうしたら面白くて、書いているうちに、腹のたったのを忘れることもありました。(P.249)

・・ところで、私の家は毎日ボヤですが・・・


<音楽家の年金のこと>
日本の年金制度がいかに音楽家と画家にとって薄いものかを講演で話すたびに、やんやのかっさいをいただき、パパの仇をこんなかたちでとっているって感じることがあります。が、そのハングリーがなかったら、それまで専業主婦で何もしたことのなかった私が、本を書いたり、講演をしたりはとても出来なかったでしょう。(P.229)

 

これ以外にも、面白いなと思ったことはいっぱいありました。古い本ですが、まだまだ参考になると思います。読後に調べたら、黒柳朝さんは、95歳まで生きられた由。長命です。

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは続いています。もはや「いつ何があってもおかしくない」と腹を括るべき歳なのかもしれませんね。でもお腹にはパウチ(袋)もなくて、昨晩はビールも飲めて、何でも食べれます。これだけでもどんなに幸運なことか毎日確認しています。

 

 

 

イマジンをピアノで弾きたくて!4才のピアノの先生?

2026年6月24日、ストーマ閉鎖241日目です。今日は典型的な梅雨日和です。朝から英語のレッスンがあったので出かけたのですが、ずっと雨でした。明日から雨と台風予想です。昨日は雨が降らなかったので、体調がイマイチでしたが、週一の運動(34キロライド)をしました。なんとか走れました。不思議なのですが、走っている間はからだの不調のことはどこかへ飛んでいます。

そのことは、こちらで書きました。

note.com

 

さて本題。

私の住むマンションでは、この数か月前から、入口の掲示板に、「騒音で苦情が来ています」という張り紙が掲示されていて、ギターのマンガが書いてありました。私はギターをしていますが、まず「私ではない」と思っていますし、この掲示以降は、音を小さくして弾くか、この掲示のせいで、最近はほとんど弾かなくなってしまいました。

このブログでも書きましたが、約半世紀前一浪時代にギターがうまい友人K君がいて、K君にギターを教わりました。ギターを買うのもK君に聞いてモーリスのギターを買いました。それ以降は、お互い大学も就職後の勤務地も違ったので、ほぼ会うこともなかったのです。でもなぜか私は永久初心者で続けてはいました。今は3台目のギターです。(OVATION)

K君以外で教えてもらったこともないし、全く独学です。私は楽譜は読めないですが、ギターの主なコードと少し難解なコード程度までは読めます。なお、6線譜は誰でも読めるとは思いますが。

今まで人前でマジメに弾くこともなかったのです。それが2024年6月の小学校の同窓会でどうしても弾かなければならなくなり、これがこの半世紀!!での「デビュー」となりました。デビューの日は母の亡くなる直前で、演奏で穴を開けるわけにもいかず、同窓会終了後すぐに、母のいたホスピスへ直行でした。(下のブログ)

 

royue.hatenablog.com

 

今回、ギターを弾くのが難しくなったので、じゃあ、サイレントギターという手があってネットで調べました。でも結構な値段なのですね。

うーん何かないかと思って私の家(マンション)には、電子ピアノがあります。もう30年近く前に娘用で買って、たまたま捨てないで置いてあったのです。

それで、まず電源をつけてみて確かめると、一応は使えそうでした。イヤホンも使えました。

 

古い電子ピアノ!

それで何かやろうと思って、まあユーチューブを探したのです。探してみてびっくりしたのは、最近のピアノ練習の動画は、音符と鍵盤があって叩く位置が分かって上から降りてくる方式で、かつ一番下に人の指(どの指で押さえるわかる)があるのですね。びっくりしました。これだと初心者もできそうな気がします。でも実際はかなりしんどいのは、すぐにわかりました。

私の弾きたい曲はあるのです。それがこれ! (点描の唄)でもとても無理そうでした。

 

www.youtube.com

 

そんな中、まあ1曲最後まで弾けないかと思って探していたらでてきたのが下の動画でした。4才のかわいい女の子がひとりで「イマジン」を弾いて、歌も歌っているのです。最初これを見て感動しました。そうだ、まず「イマジン」からやろうと思いました。

 

www.youtube.com

 

この動画の再生回数を見て、またびっくりでした。1100万回を超えているのです。でも少し心配になりましたね。このご両親の教え方とか・・・

しばらくやってみようと思います。

 

(あとがき)
今日も私の前立腺がんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは続いていて、昨日は何とかライドできてほっとです。でももう「いつ何があっても良い」と腹を括るべきなのかもしれません。来月28日で71歳です。よく生きましたよ。まあお腹にはパウチ(袋)もなくて、何でも食べれます。これだけでもどんなに幸運なことか毎日確認しています。

映像の世紀で「宗美齢3世紀を生きた”ドラゴン・レディ」を観て思うこと?

2026年6月22日、ストーマ閉鎖239日目です。ここ数日は梅雨の雨やくもりでどうも今の私の体調と相まって、気分が晴れません。

私は、前立腺がんのホルモン治療(2年)で、薬で男性ホルモンをほぼゼロにしているので、副作用のホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じが続いています。

 

昨日はワールドカップサッカーがあって、気持ちは少し上向きました。チュニジアに勝って良かったです。まああまり体調も良くなかったので、昨日はサッカーと以前に録画しておいたNHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」を観ました。6月15日放送の「宗美齢3世紀を生きた”ドラゴン・レディ」です。

 

宋美鈴さんの話でした!

www.web.nhk

 

このブログでも何度か書きましたが、私の父方の伯母は、満州からの引揚者でした。奈良の父の実家のお墓に行くと、1945年8月15日没の小さな子供の名前が刻まれていました。父とはあまり話をしませんでしたが、母からよく「お姉さん(父の姉)は、満州から髪を丸めて男の恰好をして引き上げてきゃはった」とよく聞かされていました。

 

royue.hatenablog.com

 

royue.hatenablog.com

私も学生の頃から、中国の歴史には関心がありましたし、引揚者や満州のことを書いた本はよく読みました。

そんな中で、この3姉妹のことを書いた本も読んだことがあって興味があったのです。読んだ本の名前を後で探したのですが見当たりませんでした。もう記憶が定かではないのですね。年を感じます。表題に3人の全員の名前が書いてあったような・・もう40年以上前でしょうか。

 

今回、この録画を見て特にびっくりしたのは、この宋美齢さんが、何と3世紀を跨り、2003年まで105歳まで生きたんですね。映像で104歳の写真もありました。とても100歳を超えているという顔ではなかったです。

上海出身のキリスト教の牧師で資産家の娘に生まれ、アメリカの有名女子大学を卒業し、英語が流暢で、アメリカでの対日批判や反共産主義のロビー活動の中心人物でした。

中国の歴史、台湾の歴史を知る上で、この3姉妹、蒋介石と結婚したこの3女の「宋美齢さんと、孫文と結婚した次女の「宋慶齢さん、それに中国の財閥トップと結婚した長女の「宋靄齢」さんのことは、少なくとも日本では必ずでてきます。

孫文の奥さんになった宋慶齢さんは、そのまま中国共産党の側につき、一方蔣介石と結婚したこの宋美齢さんは、国民党で中国(台湾)を支援するという関係でした。姉妹で立場が180度違うのです。

こうやって読んだ本のことを、映像で実際の動画や画像で見ると、リアリティがありましたし、深堀りもでき、新たな疑問ででてきました。それにしてもこの宋美齢さん、戦前は中国の対日戦争、戦後は台湾(中国)の反共対策ののアメリカからの莫大な支援を引き出し、まるで今のロシアのオルガルヒや、アメリカの巨大な資本を背景に政治的に動く人達のような立場であったのがよく理解できました。

私は現役の時に、上海と青島には、5年間で毎年1回は仕事で行きました。中国で政治的な話をしたり、聞いたりするのはご法度ですから、もちろんそのようにしていました。今の中国と台湾で、この3姉妹のことがどのように歴史書に書かれているのか興味がありますね。

私の家から近いのですが、明石海峡大橋の下に「孫文記念館」があって、もう何十年も前ですが入ったことがありました。たしか宋慶齢さんのことは、孫文の奥さんなので写真付きで展示されていましたが、後の2姉妹のことがどうだったか思い出せません。

この録画を見たので、また行って見たくなりました。

 

たまたまこの本を見つけました。私が以前に読んだ本ではないのですが・・

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは続いていて、毎日違和感との闘いです。でも、ストーマはなくなって、元のからだに戻り、お腹にはパウチ(袋)もなくて、何でも食べれます。これがどんなに幸運なことか毎日確認しています。

「依存症」の講義を聞いて思った私のアルコールとギャンブル事情?

2026年6月19日、ストーマ閉鎖236日目です。ここ数日は梅雨でも雨が降らずで、どうも明日から降りそうです。私の家の周りの田んぼの田植えがほぼ終わったようです。

私の体調ですが、依然としてホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じで、いつも闘っています。慣れるかと言われるとどうなの?と思います。

 

私はこの4月から市の60歳以上の「シニアカレッジ」に参加しています。月2回で1年間、少人数クラスでの講義と全体での共通講座があります。一昨日の午後は全体の共通講座がありました。

この共通講座は、カレッジ全員が対象で、会場は大きな市のホールで、それ以外にも中継で13か所の会場を繋いでいる由でした。

大きなホールで・・

講師は、道重さおりさんで、テーマは「ハマる心理ー依存症について正しく理解しよう」でした。

 

講師の道重さん、公認心理士臨床心理士で、刑務所での依存症の方への対応をやられているそうで、話にリアリティがあります。前半はアルコール依存症、後半はギャンブル依存症のことでした。依存症は一定の診断基準で判定されるとこれらは「病気」であるということです。専門の先生に診てもらうということで、素人ではダメなのですね。

 

アルコール依存症の話の最初に、世代別に毎日飲酒するのは、どの世代が多いかという問いがありました。結果は、60から69歳の男性が38.5%で、他の世代を圧倒しているそうです。まあほぼ私の世代!!です。仕事を辞めて自由時間が増えて、アルコール量が増えるということなのでしょうね。なお、70歳代になると30.9%になりますが、これは、私のようなドクターストップが増えるからでしょうね。それか飲みすぎで鬼籍に入る人が増えるからでしょう。

でも、これが10年単位でみた場合に、私よりも上の世代が同じ傾向だったのかはわかりませんでした。私より上の世代は私の経験からしてもっと大酒飲みが多かったように思いますが。胃を切っている先輩が多かったです。

 

38.5%が毎日飲酒!

また生活習慣病のリスクのある1日に純アルコール40グラム以上を飲酒するのも、60から69歳の男性で、19.3%もいるということでした。

なお、缶ビール1缶で10グラム日本酒1合で21.6グラム純アルコール量なので、私の世代の5人にひとりは、毎日に缶ビール4本か、缶ビール2本と日本酒1合か、日本酒2合を飲んでいるんですね。びっくり!

60歳代で19.3%が毎日!

(出典は厚労省です。以下)

https://www.mhlw.go.jp/content/001435384.pdf

 

私は、2024年5月の前立腺がん告知からほぼノンアル生活で、飲み会と週末とか、何かのきっかけで都度「解禁」している程度です。解禁すると、飲んでいるときはあの少し酔っている感じが気持ちがいいですね。まだまだ未練があります。

私がもし前立腺がん告知がされていなければ、この毎日飲むという38.5%には、入っていますが、純アルコール量1日40グラム19.3%に入っていたかは微妙ですね。たぶん平均すると1日に20グラムから30グラムでしょう。

そもそも私の父も毎日飲酒でした。でも19.3%の仲間でしたね。それもあって57歳で亡くなりました。日本酒派でした。今思えば、いろいろストレスも多かったと思います。私も父が亡くなった57歳を何とか通ってきましたのでわかりますね。

私のアルコール耐性の遺伝では、母はビールでグラス1杯程度で頭が回ると言っていましたので、父のようなタイプ(たぶんNNタイプの底なしの上戸)にはならなかったようですが・・

 

後半はギャンブル依存!

 

講師の道重さんの講座の後半は「ギャンブル依存症」の話でした。でも私は全くギャンブルに興味はありませんので、聞き流していました。私は昔は麻雀をやっていた時期があるのですが、全く才能がなくて、月末の「集金」に来られるばかりで嫌になってしまいました。そうそう講座の中で、「ビギナーズラックのあった人は、気をつけなければならない」ようですね。

今回の「ギャンブル依存症」の講座の中で気になったことがひとつありました。それは「パーキンソン病」の薬で「ドーパミンアゴニスト」を飲んでいる人は、ギャンブル依存症との因果関係があるということですね。薬によって、依存症が出たり、治らないこともある由でこれは初めて知りました。私のホルモン剤(2年経過)は大丈夫のようですが。

 

講師の道重さんは、刑務所での依存症の患者さんの悲惨なご家族のことや、社会復帰の困難さ等の話もされていました。私はそちらのことが気になりました。アルコール依存症で飲酒運転して大きな事故を起こしたり、ギャンブル依存症が原因で、一家離散で犯罪(お金の横領や詐欺も含めて)に走って服役している人の話です。

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは続いていて、毎日違和感と闘っています。でも、お腹にはパウチ(袋)もなくて、何でも食べれます。これだけで、どんなに幸運なことか毎日確認しています。

 

今日は母の命日で墓参りに行った!早2年が経った!

2026年6月12日、ストーマ閉鎖228日目です。今日は昨日と同じような気持ちの良い晴れでした。気温は昨日より高くて27度くらいで、外にでると汗ばむ感じでした。

私の体調は依然として、今日もホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じがあって、この不快感を「もうどうにかしてくれ!」と言いたいのですが。

今日は6月12日で、母の命日です。2024年今日でした。

その前年2023年4月に独居の母を大阪から「はるばる」!私の家の近くの施設(グループホーム)に入所しました。(何とか説得し・・)

その後やっと慣れてきて母が機嫌よく過ごしていた矢先の2024年3月1日に、足に浮腫が出たので検査したら、腎盂がんステージ4の告知を受けました。

その2か月後の5月4日の朝、施設でベッドから歩いてトイレに行こうとした時に転倒し、救急車で市立病院に運ばれました。そこで大腿骨骨折人工関節を入れる手術を受け、3週間入院後に万策尽きました。その後、やむなく5月24日ホスピスへ転院し、6月12日の夕方にひょっとしてと言われて、私がちょうど家に泊まる用意をしに家に戻ったら、すぐに電話があって母は亡くなっていました。92歳と9か月でした。

私は、それまで遠距離介護をしましたし、こっちでの施設やホスピスを探したりと、まあすべきことは全部したという介護での納得感はあります。

あれから2年です。何と時間の経つのは早いことか・・

 

そんな2年前のことを、このブログを書くために、以前のブログを読み返しました。書いておいて良かったと思います。その後の「○○仕舞い」のこともすべて書いておきましたが、これも記録として良かったと思います。私の日々のタスクであり、励みになりました。

 

royue.hatenablog.com

 

今日は10時半から、久しぶりに「墓参り」に行きました。車で10分ほどです。もう大阪のお寺さんとはこのブログでも書きました通り、いろいろあってほぼ断絶です。

もう私はそれでいいと思っています。もう私が母と話がしたい時、父と兄へ何か報告したい時、気持ちの整理をしたい時、何か行きたくなった時だけ行くだけです。

 

今日は誰もいませんでした。

花、線香、お供え、チンを持参して・・

 

 

もし母の腎盂がん告知がなければ、私は泌尿器科へは行かなかったかもしれませんね。それまで、がんの家系などとは思ってもいませんでした。それに自転車(ロードバイク)旅で1日100キロほど走っていましたので、健康には自信があったのです。

母が2024年3月1日にがん告知され、私は4月1日に初めて泌尿器科を受診しました。その後私は4月30日に前立腺がん告知ステージ3)を受け、タイミングとしてはギリギリでした。母がどこかで「私に病院に行け」と言っていたのでしょう・・

 

父は57歳で、兄は33歳で亡くなりました。幸いにも、私は今70歳で前立腺がんとはいえ最後のがん発見のチャンスだったのか、何とか生きています。男女の平均寿命の差を考えると母の92歳マイナス10歳ぐらいとして私は80歳まで生きればと思っていますが、どうもしんどそうですね。

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ、倦怠感、胸が詰まる感じは続いていて、毎日違和感と闘っています。それでも、きつかったストーマ生活10か月を乗り越え、今はお腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。この状況がどんなに幸運なことか毎日確認しています。

 

 

 

日経コラム春秋の「タツトリさん」と「ノトナレさん」のこと?!

2026年6月7日、ストーマ閉鎖223日目です。梅雨入り宣言が6月4日にあって、ずっと天気が悪いです。今日も朝からずっと雨です。

そのせいもあって、私のからだの調子もイマイチです。いつもと同じホットフラッシュ倦怠感があって、今日はさらに胸がつまる感じが強いです。

さて本題。

昨日6月6日の日経新聞のコラム「春秋」ですが、私は秀逸だと思います。一部をそのまま引用すると

・・高齢者の身じまいは二分される。経つ鳥跡を濁さずの「タツトリさん」と、後は野となれ山となの「ノトナレさん」。毎年160万人が死ぬこの国ではタツトリを志す多くがノトナレと化して終わる。・・

 

AIで作ったイメージです



私は兄が早く(33歳)独身で亡くなったので、母の介護は「私」と私の家族しかいませんでした。まあできることはその範囲でして母の最期を看取りましたというか、看取れました。このブログでも書いてきましたように、私なりに「すべきことはした」というのが母の介護の感想です。

 

そもそも母は、「ものを捨てない」性格でしたので、いつも「私が死んだら、家ごと壊してもろたらええ・・」と言っていました。断捨離終活という言葉も知らなかったし、聞こうとしませんでした。まあ私がいるから「ノトナレさん」で良かったのですね。

母が亡くなってから、ほぼ1年で私は「家財仕舞い」「家仕舞い」「墓仕舞い」と登記相続をしましたが、結構な労力と時間とお金を使いました。

 

これが「おひとりさま」ならいったいどうなっていたのでしょうね。まず、役所が誰か親族を探し出すのでしょうね。付き合いがあればまだしも、付き合いがないか、法的義務がなければもうそこまでです。もし誰かいてもまず後のことをする手間、時間がないことが多いでしょうね。お金のことは、プラスとマイナス次第なのでしょうね。多くは家とか資産によるのですが、プラスの人がどれだけいるのでしょうかね。

結局は「すべて放棄」で「ノトナレ」となることが多いのではと思います。でもいったい誰があの大変な手続きをするのでしょうね。

今や「おひとりさま」が増えています。認知症になれば、本人には関与のしようもありません。「社会全体で支える」ということになるのでしょうか。すべての「○○仕舞い」をした私からしたら、あの労力と時間は莫大です。たまたま私は完全リタイヤなのでできたということもあります。ひとつひとつ、役所がやれるレベルではないと思いますね。「ノトナレ」のことは、誰かが真剣に考えてくれているのでしょうね・・・

 

ノトナレさんかあ、寂しいですね。これからの社会的負担の方が心配です。・・諸行無常・・

 

(あとがき)
今日も私のがんはおとなしくしてくれています。でもホットフラッシュ倦怠感胸がつまる感じは続いています。それでも、今日もお腹にはパウチ(袋)もなくて何でも食べれます。今日は珍しく7時間は眠れました。この状況がどんなに幸運なことか毎日確認しています。