2025年5月8日(木)、今日は大阪のお墓でお寺のご住職に「遷仏法要」をしてもらう日です。
前日までに準備をしてきたものをリュックに詰め、8時に家を出ました。今日は車ではなく電車と徒歩かタクシーの予定でしたので、墓花も昨日に買っておいて、水につけておいたものをビニールの袋に入れていきます。お寺さん等への土産も買って紙袋です。お寺さんへの「御布施」もお墓の管理のWさんへの「御礼」も包んでいます。
片道2時間で、結構な荷物でこの8時台の電車の混み具合が気になったのですが、乗り換えも最少のほぼJRでしたので、座れて助かりました。私はオストメイトですので、お腹のパウチのことも気にしながら、何とか予定通りにお墓のあるT駅に10時前に着きました。
今日はまず、ここで1本電話をしました。実は今日の昼に母の介護のことでお世話になったT姉さん(血縁ではないもののほぼ姉の)や空き家の解体、売却のことでお世話になったSくん(従弟です)と3人でランチをする予定で予め連絡をしていたのです。ところが、行く予定のイタリアンレストランの予約がネットでもできず、また昨日は定休日でできなかったのです。それでこの時間なら電話が通じるかと思って10時前に電話をしたのです。2回目でやっと出てもらえて、幸いにも3人分の席の予約ができました。ほっとです。
それから歩いてお墓の管理をしているWさんの家に向かいました。予め挨拶にいくことは伝えてあります。
10時20分にWさんの家に行きました。大きなお宅でびっくりしました。玄関のインターホンを鳴らすと待っておられました。電話で何回かお話はしていましたが、初対面です。実直そうな方で「最近は墓仕舞いが多くて、皆さん結構来られますね」とのことでしたね。私から、今日の「法要」のことと、お墓の解体日程、業者名等のことで書いてきた資料で説明をしました。最後に今までのお礼として「手土産」と「御礼」としてお金も包んできて渡そうとしたのですが、「御礼」は受け取られませんでした。後でT姉さんから聞いたのですが、このお墓の管理は交代制で、清掃等は老人会でやっておられるとのことでした。それなら寄付という形の方が良かったかとも思います。毎年わずかな費用で35年以上もお世話になりましたので、本当に感謝しています。
その後、T姉さんにはすべて電話とLINEで話をしていますので、家に行き挨拶をして、私はこれからお墓の清掃で行くというと、「じゃあ11時半頃に行くわ」ということになりました。そもそもこのお墓は2023年に亡くなったT兄ちゃん(T姉さんの旦那さん)にすべて世話をしてもらったのですが、お墓もすぐ近くなのです。
お墓に着いて、前はいつ来たのか思い出せないくらい前です。雑草はまだそんなに生えていなかったので昨年の年末でしょうかね。お墓のまわりの掃除をして草むしりをして、花立と水鉢を綺麗に洗い、線香を焚き、準備してご住職を待ちました。
11時15分にT姉さんが来ました。話をして待っていると11時半前にご住職も来ました。このご住職はT姉さんのところのお寺のご住職で私は初対面です。
そもそも、このブログでも書きましたが、30年以上も独居の母のところに毎月来てもらっていたお寺はお世話になった先代のご住職から代替わりをしていて、私と女房で墓仕舞いの話も昨年にわざわざ行って相談もしたのです。でも、聞く耳持たずというか、こちらの意向も聞いてくれずでしたので、もう諦めて同宗派のこのお寺さんにお願いをしたのです。T姉さんの紹介です。
このご住職の読経が済み、持ってきた手土産と「御布施」をお渡しすると、世間話をすることもなくお帰りになりました。私は今回来るにあたって、このお墓に眠る父と兄の亡くなった日にちや法名もいるだろうと思って、予め手紙を書いていました。それに、今回は私の家の宗派(浄土真宗本願寺派)では重要な「過去帳」も持ってきていました。でも、このお墓の敷地内には、座って話をするような気のきいた場所もありませんし、家に来ていただく訳にもいかず(もう売却したので)、そこでお帰り頂くしかないのですね。なお、「御布施」ですが、T姉さんの言う通りにしたのですが、最初に予定していたよりも少ない額でしたね!
これで今日の第一の目的は済みました。
これから第二の目的です。それは、お世話になった2人と私の3人で、会食をすることでした。
法要後にT姉さんの家に行き、T兄ちゃんの仏壇に手を合わせ、SくんにLINEで連絡して、車でピックアップしてもらい、隣のF駅近くのイタリアンレストランに行きました。Sくんは不動産屋をひとりでやっていますので自由度があると思って誘ったのです。実はSくんは亡くったT兄ちゃんはよく知っているのですが、T姉さんとは初対面なのでした。まあこれも何かの縁と私が誘ったのです。
なお、私は、今日はもともとタクシーを使うべく「GO」アプリも準備したのですが、結局Sくんに頼んだのです。まあ、これもあってSくんに参加(JOIN)してもらったのですが・・
会話がはずみアッと言う間の1時間半でした。T兄ちゃんとの昔のこと、T兄ちゃんが私(15歳)とSくん(幼少期?)を「70年万博」に連れて行ってくれたこと等、懐かしい話に花が咲きました。
15時前にすべて終わって、私は帰路の電車に乗りました。今後のことは、まず来週12日に石材店がお墓の解体をして、終われば私に写真を送ってくるハズです。遺骨は、この石材店が一旦預かってくれます。その後5月25日に、私は、家の近くの市営の墓園の合葬式墓地に「納骨」をするだけです。墓園には、父母と兄の3人の名前の書いた石板が残ります。
もう母が36年間ひとりで住んだ今はない家のあった場所や、このお墓に来ることもないでしょうね。私も前立腺がん患者ですし、今はオストメイトでもあるので・・
(補足)
私はオストメイトになって、初めてのこのような会食でした。その食事中にパウチのトラブルがありました。そのことは、AMEBAブログで書いています。