2025年1月3日、今年初めての投稿です。皆様、本年もよろしくご高覧のほどお願いいたします。
私の今の体調は、思わしくありません。放射線治療の副作用がこんなに出るとは予想だにしませんでした。(詳細はこちら)
まあ「副作用」つながりで思うことがありました。私は2019年からほぼ5年間、母の介護をしましたが、介護を通して、ものの見方や価値観が大いに変わったことが結構あると思います。もっとも私も加齢により自然に変化する、変化すべきものもあるとは思いますが、これらは、介護の副作用のようなものと思いますね。
その1:母はよく旅行に行ってどこでも「必ず」お土産を買ってくるのですが、その中で「鈴」のついた小物を探して買うのです。大量にありました。空き家のあちこちで大量の小さな鈴がでてきました。あれって結構高価なものもあったと思いますね。結局、これらは家財整理の時にすべて廃棄しました。
(副作用)私はこれら母の残した鈴を廃棄した立場で、まず、どこに行ってもまず土産は買わないか、買っても食べるものだけになりました。
その2:母はもともと自分で洋服の仕立て(テーラーです)をやっていましたので、家には、業務用のミシンやロックミシンなどもありました。このブログでも紹介しましたが、押絵もやっていました。大量の押絵と立派な額に入った大きなものもありました。毎年干支の色紙の押絵を作っていて、身近な人に年末に郵送したり、家に来る人にあげたりしていました。干支は12枚で一巡しても2巡3巡で毎年送っている人もいましたね。施設に入所後は、額縁に入った大きな3枚ほどは、寄贈で受けてもらえたのですが、結構な数が廃棄となりました。(そのブログです)
その3:母は、小さな「キューピーさん」に毛糸の編み物の服を着せて、人にあげていました。また、「フクロウ」の小さなぬいぐるみも大量に作っていました。フクロウすなわち「不苦労」なので・・
(副作用)私はこの手の趣味が嫌いになりました。趣味でやっておられる方には申し訳ないと思いますが、まったく興味が沸かなくなりました。「もの」を作らず、一切の妥協をせず、残さないことにしました。
その4:母は花が好きで、外には大量の鉢植え、家の中には、観葉植物やドライフラワーが結構ありました。認知症になって自分で花の手入れができなくなって、最後は放ったらかしで、家の中の観葉植物の鉢は虫やゴキブリが湧きました。
(副作用)私は、まったく花が嫌いになりました。もうこれからは花を買うこともないでしょうね。
その5:母は買った服を捨てることはありませんでした。洋箪笥4竿とカーテンレール2本、和箪笥1竿に大量の衣類を残しました。55歳から72歳までアパレルの会社に勤めていましたので、単価の張るものも結構ありました。最後は、防虫対策もできないようになりましたので、リユースもほぼダメでした。母の妹(私の叔母)に唯一、着物の「大島」だけとっておいて送ったのみでした。
(副作用)私は、日頃使う以外の衣類は、買おうという動機が湧きません。スーツもほとんど廃棄しました。礼服以外は、捨てるのみです。
その6:一戸建てに住むことで、母は大量の「もの」を捨てずに生活できました。ひとりなのに、トラック(3トン)が3台の家財と、軽トラ2台分の焼却物の処分をしました。
(副作用)私は、若い時は広いところに住みたいと思っていましたが、介護を終えて、今の3LDKのマンションで広さはもう十分と思いますし、セカンドハウスを持ちたいとか思う人のことが、全く理解ができなくなりました。
(補足)一戸建ては、今は機密性があって断熱性能も良いと思いますが、気密性の高いマンションに勝るものはないと思いますし、ゴキブリの心配もほぼないと思います。
介護を終えて思うのは、副作用なのでしょうか「如何に自分の生活をシンプルにするか」だけになったことですね。
この副作用とともに、今だに母のDNAで悩ましいことがあります。
母もそうですが、耐用年数以上に壊れるまで、「もの」を使うことです。私が今、このブログを書いているパソコンは、2011年!!??に買ったものです。
また、私の今乗っている車は、2007年に買ったものです。(表紙の写真)
この悪癖も何とかしなければと思っていますが・・・