Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護97: 干支の押絵を母が毎年送っていた・・有難いお申し出!

干支の押絵(7枚)

母は、大きな額に入れる押絵とともに、干支の押絵を作っては、毎年末に何人かに送っていました。いつから、誰に送っていたかは、私は知りませんが、毎年5~10枚程度だったと思います。まあ懇意な親戚(兄弟姉妹と甥姪)とカラオケやダンスの知り合いが中心だったと思います。干支ですので12枚が揃えば終わっていたのかとも思いますが、2巡目以降の人もあったようです。定かにはわかりません。たまに実家にいくと、よくお礼の電話を受けましたね。母にとっては生きがいになっていたのでしょうね。

そんな中、最近になって、家が近いこともあり、コロナ前にも何回か母を訪ねてくれた親戚(私のはとこ)のNちゃんとLINEを繋げるようになったので、母の事情をいろいろ話す機会もあり、「干支の押絵をお父さんが毎年おばさん(母)から送ってもらっていたんだけど、あと4枚(子、丑、兎、戌)余っていたらほしい。」とのことで連絡ありました。Nちゃんのご両親(母の従妹とそのご主人)もすでに亡くなっていて、押絵を送っていく途中で亡くなったのかもしれませんね。私は、母が兄弟だけではなく、懇意にして頂いた義従弟にまで、送っていたことや、今まで保存していてくれたことに驚きと感謝の念で一杯です。

そこで、今回、空き家での私のタスクのひとつは、母の作った押絵を探すことでした。家(今の空き家)の玄関に飾るための最低12枚は、どこかにあるハズですのですぐ見つかると思っていたのですが、1階をしらみつぶしで探して見つけたのが、上の写真の7枚だけ。残念乍ら、Nちゃんご所望の「戌」がないのですね。

そこで、また探し始め、ほぼ3時間くらいでしょうか、今度は2階をすべて探したのです。そしたら奥の箱から出てきたのが下の写真です。何と23枚もありました。なぜ、こんなにもたくさん残っているのか、初期のものなのか、母のお気に入りなのか、それともその逆なのかその理由はわかりません。

2階からでてきた干支の押絵23枚

母には悪かったのですが、私の家(マンション)は、和風の部屋がないのと、そもそも壁に一切フックをつけない主義でしたので、早くから「うちはいらんから」と言っていたのですね。冷たい息子なのです。ですので、今後、私が持つこともないですし、ほしいと言われる方があれば、いつでもウエルカムなのですね。以前ブログで書いたように、大きな額縁の押絵の3枚は、何とか今のグループホームがご所望でしたので、大阪から運びましたし、今回のNちゃんの申し出も本当に有難いのです。

介護48:母の押絵を大阪から持っていくと・・・グループホームへの寄付は? - Royue

やっと見つけたので、早速、NちゃんにLINEで報告しました。私は今回は、2泊3日の予定で、最終日2024年1月31日に車で帰るので、その途中にNちゃんの家があり、持って行ってあげることにしました。当日、私からNちゃんには、「車なので全部持ってきたので、できれば全部でもいいんですが・・・」と言いましたね。迷惑だったかなと思いながらも、その折にこれら30枚の押絵を母の使っていたコロコロ付きのキャリーバッグに入れてきたのですが、「ついでに、このキャリーバッグもどうしても邪魔なら引き取りますよ・・・」と言って別れました。

Nちゃんには、感謝感謝です。

なお、空き家には、まだ大きな額縁の押絵と、色紙で干支以外のものも結構残ったままです・・・。

干支以外の色紙の押絵