Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護95:母がグループホームで転倒!・・・転倒と介護のステージ&「母さん、ごめん。」のお母さんのこと

段差解消スロープ

2024年1月18日の夕方に、母のいるグループホームから電話がありました。その内容は、母が今日、トイレで転倒したことと、耳に擦り傷が残っていて、トイレから出て来たところでわかったということのお詫びの電話でした。私は、狭いトイレでどうやって転んだのかと思い、聞いて行くと、グループホームのトイレは、車椅子でも入れるように広くなっていて、介助の必要な人以外は密室になり、どのように転んだかまでは、わからないようでした。母はまだ自分で歩けるので、仕方がないですね。耳をどこで打ちつけたのかと思いますが、本人に聞いてもわからず、多分、手すり(介護施設なので、すべて手すりがあります。)かもしれません。

1月10日の眼科通院で会った時も、足の力は確実に落ちていましたので、まあそんなこともあるかと思いました。ほとんど足が上がっていなくて、摺り足になっていましたから。私は月に1回の通院で会いますので、常時見ている施設の方より、脚力のなさの進行具合はよくわかると思います。

振り返ってみると、今まで、転倒がきっかけで、要介護に進行して行った、すなわち介護のステージが変わっていったと思いますね。

最初は、2019年3月27日に、外の散歩から帰ってきて、ちょうど家の前で転倒し、たまたま私がいたので、病院へ連れていくと、右肩脱臼でした。すぐに骨は戻してもらいましたが、暫くは箸も持てず、私の遠距離の頻繁な介護のスタートでした。そんなことも一つの要因で、私はその秋には完全リタイヤしました。

母は、その後は順調に回復したものの、翌2020年11月2日に、1キロほど離れたカラオケ教室(カラオケスナックのような店)に歩いて(外を自力で歩けた最後か?)行ったのですが、その店のちょうど前で、道路から10センチほどの段差があり、それを越えられず転倒しました。その時は、カラオケ教室の先生がすぐに救急車を呼んでくれて、救急搬送されました。結果は、顎の骨を骨折していて、以降は週1回の通院となりました。私は、当日に駆けつけましたが、以降、毎回遠距離を車で来て通院させました。おまけに入歯も折れていましたので、歯科通院もありました。

この二つの転倒の共通点は、目的地まで辿り着いているのですが、最後の最後に転倒していることですね。誰しも、最後は疲れていて、自分が思うほど足が上がっていないのです。

2019年の転倒があってからは、古い家の段差解消のために、ホームセンターで三角形のスロープを買ってきてすべてに取り付けました。(それが上の写真)

その後も、多分、母は何度かは、転倒していると思います。一度、私が2階にいたときに、母のいた1階で大きな音がしたので、母に聞いたことがあるのですが、とぼけて!?いましたね。

今回の転倒について、翌日19日に、ケアマネHさんから電話がありました。耳がほんの少し腫れていることを母に言うと、「大したことはない。大丈夫。息子には、言わないでほしい。」と言っている由。

こういうことを言うのは、まだしっかりしている証拠ですが、私が怖いのでしょうね。この4年で随分いろいろ言いましたから、まあ、しょうがないのですがね。

(追記)

転倒で介護が始まるケースが多いと思いますが、このブログでも書いた、「母さん、ごめん。」「母さん、ごめん。2」の著者の松浦晋也さんも、私の母のケースとほぼ同じ経過を辿り、転倒がきっかけで在宅介護の後、グループホームへ入所でした。そこで、この記事を書くために、久しぶりに、ググってみると、思わぬ記事が目に止まりました。昨年の12月4日に亡くなられていたのです。びっくりです。ご冥福をお祈りいたします。私の母は昭和6年生まれ、松浦さんのお母さんは昭和9年生まれで、在宅介護が私は4年、松浦さんは2年半でした。

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