腎盂がんステージ4の母が2024年5月4日に転倒で大腿骨骨折で、5月10日に手術し、何とか手術を乗り越え、12日からリハビリと聞いています。5月15日の朝に病院に電話をすると、昼過ぎに電話をかけ直してほしいと言うので、12時半にかけました。
ナースステーションに繋げてもらい「10日の手術後から面会もできないので、今の状況を知りたいのですが・」というと、「13日から面会ができるようになっています!、15時から17時まで10分間のみです」とのことです。びっくりです。13日ならすぐに知らせてくれればと思いました。その日は私は近くにいたのにと思いましたね。「それで予約をすればいいんですかね?」と聞くと、予約は不要で受付で申請書に書いてもらうだけとのことでした。その折に、電話に出た看護師さんから、「あまり食べられないようです。」とだけ言われました。なお、面会の再開のことはその後、病院のホームページを見ると書いていました。多分、最初にもらった書類のどこかに書いていたのでしょうね。私のミスです。
私は、すぐに行くことにしました。15時からなので、14時半に車で家をでて、15時過ぎに病院に着き、早速母のいる5階にいくと、「今、ちょうどリハビリに行かれましたので、ここで待っていてください」と言われました。でも、私は1階のエレベータの横にリハビリ室があったのを思い出し、それなら覗いてみることにしました。
たまたま、そこで連絡が入ったのか、母の担当の理学療法士のIさんという方から声をかけられ、母のリハビリの様子を見ることができました。
まず、母が車椅子に座っているのにはびっくりしました。でも、母に笑みはありません。2人に介助されながら平行棒に腕で支えて足をつけさせているようです。今日は2回したらしく、すぐに終わって病室に戻るので、1階から、一緒に病室のある5階まで上がりました。病室で今度はベッドに母を寝かせるのですが、これもまた2人で支えて大変です。母は終始、しかめ面でした。まだ縫ったところだって完全に止血できていないだろうにと思いました。その時、びっくりしたのは、母の足が浮腫で2倍以上になっていたのが、元の34キロの時のように細くなっているのですね。テーピングらしいのですが、「こんなに締めて大丈夫なのでしょうかね」と聞くと、「先生の指示通りやっています」との回答でした。びっくりです。私からは、「手術後、こんなすぐにリハビリってするんですか?」と聞くと「同じ骨折では、皆、すぐにしますね。」とのことでした。また、私から「92才って最高齢ですか?」と聞くと、「いや、もっと高齢の方もいます。リハビリもします」とのことでした。
その後、二人になって、母に痛いのかと聞いても無言です。もう腕さえ動かすのも辛そうです。「座れるようになってるやん。手術しないとそれもでけへんかったんやで。痛かったら痛いって看護師さんに言うんやで」と言うと、母はそれに答えず、「ここはいつまでいるの?」と聞くのですね。「あと、2~3週間くらいかな?」というと少し落胆した様子で、「もう、はよあの世行きたいわ」と言いました。頭は、結構クリアだと思います。辛いのでしょうね。うーん、どうしようもないですね。
その後、ベッドの横に、入院の時に持って行ったお菓子類が紙袋にそのままの状態で置かれていました。中をみると、ビニールに入れたバナナがそのままで腐っていました。すごい臭いです。紙パックのコーヒー牛乳もそのままです。
まあ、ベッドで横になれるだけですので、横に置いてある紙袋まで手は届きません。また、テレビがあるのですが、リモコンもベッドの端にかけたままですし、私が買ったプリペイドカードは挿入されていましたが、イヤホンもさっきの紙袋に入ったままです。私がテレビを見れるように一応セットして、チャンネルを母がよく見る「6」にしてイヤホンを母の耳に入れてみて、聞こえるか確認をしました。でも、そもそも今の状況では、かろうじて手が動くだけですので、「今はそんなどころではない!」と、恥ずかしながら、この時初めてわかりました。やはり行ってみて、実際に見るに越したことはありません。
まあ、そんなことで約1時間ほど病院にいて帰ってきました。
帰宅してすぐの夕方17時頃に、さっきまでいたA市民病院の地域医療連携課のYさんから電話がありました。Yさんから開口一番、まず面会ができるようになったお話がありました。でも、私はさっき行ってきたばかりです。その後、母の状況を私から説明すると、Yさんは、病院内のイントラで業務日誌を見ているのでしょうね、母は、お腹が痛いと言っているようなのです。私が母と喋った時は、母は何も言いませんでした。また、面会時には看護師さんとも話ができませんでしたので、あの痛そうな顔は、手術の痛みとともに、腎盂がんの痛みなのかなあと思いましたね。Yさんからは、緩和ケアのことについて、Cグループホームの提携クリニックの紹介での今までの2病院の見学の経緯を聞かれました。今後は、A市民病院内の緩和ケアの先生にも入ってもらうとのことが今日の電話の目的のようです。病院は縦割りなのでしょうね。私はすぐにでもとお願いしました。また、余命のことをどう聞いているかと聞かれたので、A診療センターでのがん告知の内容(月から年単位の間)を伝えました。
そもそも私は、母が痛みで苦しまないようにしたいのですが、母は私の前では頑張るのでしょう。何度も「痛いなら言って」と言っているのですが・・・