Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護128:母が転倒で救急車で搬送される・・大腿骨骨折って?

大腿骨骨折!

2024年5月4日、世間では4連休の2日目の土曜日の朝6時半に私のスマホにCグループホームから電話がありました。この時間の電話ですから何かあったなとピンときました。母が朝、着替えを済ませ、ベッドから入歯を取りに行こうと立ち上がった後に転倒して動けないことと、救急車を呼ぶべきかという連絡です。また、担当のYさんは、「救急車を呼びますか?」と私に質問するのでね。私は頭がぐるぐる回り、「ひょっとしてYさんはこのまま緩和治療のみを考えているのかな?」と思ってしまいました。Yさんは、すぐに提携のSクリニックの看護師さんにも連絡するというので、私はそれなら看護師さんの判断に委ねることにして、すぐに着替えをして急いで車で向かいました。

15分ほどでCグループホームに着くと前にはすでに救急車が止まっていました。フロントは誰もいず、2階で複数の人の声がしているのですが、勝手に入るわけにもいかず、暫くすると担架に乗せられた母が救急隊員3人とエレベータで降りてきました。私はその後、救急車の中で名前や住所や病歴を書き、隊員の質問に答えたのですが、その時に母の腎盂がんのステージ4のことと、ホスピス見学のことを言ったので、このまま緩和ケアの可能性もあると勝手に判断し、見学にも行った総合病院でもあるF病院のことを話しました。その上で、隊員の一人がF病院に受け入れ可否を電話で聞き、OKの返事がありで向かうことになり、私は車で追いかけることになりました。

7時過ぎにF病院に着くと、祝日なので誰もいませんが、救急の先生と看護師さんがいて対応してもらえました。でも結局8時半に担当の整形外科の先生が診ることになり、9時頃になってレントゲンをとっての診察になりました。先生から「大腿骨の上部(頭骨)がポキッと折れていて手術しなければならない」、また「連休で入院も含め手術ができる病院を2つ当たってみる」ことを言われました。結局、母のがん診断をしてくれたA診療センターはダメで、もう一つのA市民病院で受け入れができることになり、再度、救急車で母を運んでもらうことになりました。

祝日で誰もいない病院

またも9時半頃に救急車がきて、私が救急車に入り事情を説明し、1回目同様に車で追いかけることになりました。

A市民病院に着くと休みなので夜間入口から入り、またもやレントゲンを撮り、診察になりました。母はその間、「痛い、痛い」を連発するのですが、どうしようもない状態です。担当のY先生から、骨折と今の状況の説明を受け、手術に関し30分以上かけて細かな説明を受けました。

その内容は、まず、手術をしないと座ることもできなくなるし、寝たきりになり、ご飯もその状態で食べるしかないようなことを言われました。また、手術は大腿骨の先端の頭骨を「人口骨頭置換骨」にする手術で、高齢者の骨折はほとんどこれで、ここでは年間170くらいこの手術をしている由です。この骨折の一番の問題は、骨の中の動脈が骨折部分で断裂することで、「がん」だろうと私の母のように下半身が浮腫でパンパンな状態であっても、また多少の病気があっても手術はすべしとの言い方でしたね。もちろん母が腎盂がんの下大静脈への浸潤で浮腫により体重34キロが47キロとなり下半身にこの差の13キロがあることも伝えています。また母の場合のリスクとして、浮腫もありますが、母は血栓対策で血をサラサラにする薬(リクシアナ)を飲んでいるので先生はこれが気になるようでした。最後に私から、「この手術では、母が最高齢でしょう?」って聞くと、先生は「105歳でもこの手術をやりました。」と言うのです。うーん、一瞬「本当かいな?」って思いましたが・・

まあ、そこまで言われるのであれば、手術の1択です。
今のところ、今日入院で、手術は10日、以降3〜4週間で退院のスケジュールとのことでした。まあこれは予定であって、どうなるかまだわかりません。

その後、手術のための署名する書類が何と12枚もありました。(下の写真)まあこんな時代なのでしょうね。

12枚にサインした!

母と私はその後に5階の病棟に行き、私はここでサインした書類を渡し、日用品等の必要なものの説明を受け、14時前に母と別れました。ここのA市民病院は、最近コロナが出て、入院者への面会はすべてできないことになっています。今度会えるのは1か月半後でしょうか? きっと私も忘れられてしまうでしょうね・・

私が入れるのはここまで!

結局、今日は朝6時半から14時半までかかりました。私は昼前の隙間時間を利用してブランチとして、病院の売店でパン1個とコーヒーで済ませたのですが、母が何も食べていませんでした。入院病棟の5階に行く14時前に1階の緊急対応の看護師さんから何か売店で買ってあげてくださいねと言われていたのですが、入院後にすぐにCグループホームで今処方されている薬をもらいに行かねばならないこととか、準備等があったので、私は母の食事のことを全く忘れていました。結局、母にパンと牛乳、バナナ、栄養ジェルを渡したのは15時半頃になってしまいました。「母さん、ごめん」です。

そういえば「母さん、ごめん②」の松浦晋也さんが歩んだ道、すなわちグループホームでの忙しい対応と同じになってきたような。

これから、今のCグループホームがそのまま入れるのかとか、その場合の費用や今回の入院の費用等、問題山積の状況です。