2024年5月4日に転倒し救急搬送で、92才腎盂がんステージ4の母が5月10日に大腿骨骨折の手術で、手術は乗り切ったものの、転倒後2週間ずうっと、無言で痛みに耐えています。
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2024年5月17日、4月10日の手術後2回目の面会です。15時からなので、14時半に家を出ました。今日は女房も行くというので一緒です。
車で行くと病院の面会の場合は、駐車料金(1時間毎200円)が発生するので、すぐ斜め前にあるスーパーの駐車場は買い物をすれば2時間は無料なので、そちらにしました。
受付で紙をもらい母のいる5階へ行くと、たまたま、前に見たリハビリの看護師さんともう一人年長の看護師さんがいたので、母の様子を聞いたのです。血圧は142と高く、脈も速いのです。母は、前回同様に痛そうで、目の下がくぼんで黒くなっています。私から「痛いんやろ、我慢せんと痛いんやったら看護師さんに言うんやで」と言うと、頷く元気もなさそうです。私から看護師さんにも、「この人(母)は、痛いと思っても言いませんが、たぶん痛いのでしょう。何とか痛みをとってあげてください。この病院の地域医療連携課のYさんから緩和ケアの先生にも診てもらうと聞いています」と伝え、「今後はどうなるのでしょうかね? このまま緩和ケアの病院に転院とかもあるんですか?」というと、「抜糸が術後10日にありますが、早い場合でもそれ以降に転院するということはありえます」とのことでした。私から「このような状態でほぼ寝たきりでも転院ってするんですかね?」と聞くと、「そのようなケースもあります」とのことでした。その折に年長と思える看護師さんから、「今、転院の場合に、一旦元の施設に行ってもらった上になるか、そこの手続きがあるように聞いています」とのことでした。
私としては、とにかく母の痛みをとってほしいのです。方法論はともかく。帰り間際に私は、母の手をとって「痛いんやったら言うんや!」っていうと、母は、意外にはっきり「わかった」と答えました。頭は苦痛のためでしょうか、ある意味クリアなのかもしれません。
92才にもなって骨折をしてから2週間経っています。その間、ずうっと痛みに耐えている母が不憫でなりません。手術を選んだのは私です。それが最善と思ったからです。あのままでは、ベッドで座ることも車椅子に座ることさえできなかったのですから・・
面会の時間は10分のみです。看護師さんがいたからまだ情報を得ることができました。母だけならほとんど新しい情報は得られなかったでしょう。今回は規則の「1分超過」で母のベッドを離れました。結局、そのほかにも聞くべきことがあったのに、特に食事をどの程度食べれてるのか等、やはり予めメモを書いて行くべきでした。
帰りに病院のフロントの近くにある地域医療連携課のYさんを訪ねましたが、面談中とのことで、忙しそうなので次回にすることにしました。
夕方18時前にCグループホームのHケアマネから電話がありました。私の報告(面会のレポートをメールしたのです)を見て、「お母さんが、痛みを我慢して何も言わないのを読んで泣きました」とのことでした。その電話の折に、どうも母を一旦、Cグループホームに移して(多分実際に行くような言い方)、その上で緩和ケアのF病院に転院という話があったそうです。私としては、今いるA市民病院でできなければ、F病院でもどこでも、とにかく早く適切な緩和治療を望むばかりです。一番苦しんでるの母なのですから。形式的に一旦どこかに行くってどういう意味なのでしょうね。また、HケアマネからA病院の地域医療連携課のYさんにも電話をして、母に会いに行くような話をされたようですが、Yさんからは「少しめどがついてから」とのことになったようです。
バックヤードでは色々な人が動いているようです・・・