Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護140:ホスピス転院の2日目?・・・先生から緊急呼び出し!

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、ホスピスへ転院し2日目です。

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イカの果汁をスポンジで!

2024年5月24日に母は、A市民病院から緩和ケア(ホスピス)のF病院へ転院し、2日目の5月25日の朝10時半頃にN先生から突然の電話がありました。もともと昨日の転院初日にN先生とは、2週間後の6月7日に面談予定だったのですが、2日目にして何があったの?って思いました。その内容は、「お母さんは、食事が摂れず、うどんも2つくらいしか食べれないので、お話がある」とのことでした。急ぎのようでしたが、時間調整の上、14時に行くことにしました。今日も女房と一緒です。
F病院に着いて、昨日に依頼のあった入院関係書類に記名押印したものに、現金3万円(預り金)を添えてフロントで渡してから、すぐに4階の緩和ケアのフロアに行きました。母のいる個室にまず通されたのですが、母はまだ眠っているようです。暫くして、母が少し聞こえているようなので呼びかけると目を覚まして、私とわかったようです。何となく精彩がありません。寝起きなのか反応も鈍いのです。その後、看護師さんが来たので、食事のことを聞くと、「水を飲むのも少しですし、お粥もスプーン2杯ほどしか食べれていないのです。」とのことです。また、朝9時にモルヒネの錠剤を飲んだということで、今の時刻までの5時間は眠っていたのでしょう。昨日もらったパンフレットに書かれていたと同じ、やはりそういう時期(人の最期の前にはよく眠る)なのかもしれません。また、看護師さんからは、モルヒネの錠剤はもう飲めなくなったので、注射に変えると言われました。

20分ほどして、N先生からの呼び出しで、同じフロアの部屋で話をしました。「飲み込み、引くことができなくなっている、食べたいと思うこともなくなるし、無理に食べさせても別の問題が起こる。(表現が定かに記憶にないが)体の機能が徐々になくなっていくものなのです。今のお母さんの状況からして、覚悟をしておいてほしいこと、いつかはわからないが明日もあり得るし、1週間かもしれない、時期はそれぞれ」というような趣旨だっと思います。私から「やはり手術をしたA市民病院で手術後、担当のY先生から食事は5割とか嚥下食で2割とか聞きましたが、実際は食べていないのでしょう。ゼリーだけだったのでしょうね」というと、N先生が、「転院してきてからかもしれないし、それはわかりませんね」とのことでした。私としては、A市民病院での食事で母がどの程度食べていたのかの正確なことは結局、確認できていなかったのです。今更仕方がないのですが。

まあ先生の言わんとするところは、人の最期というのは、徐々に荷物を降ろすが如く色々な機能も落ちていき、最期を迎えるということなのでしょう。

そこで、私から、「点滴で栄養補給はしないのですか?」と聞くと、「どんどん衰えていく状態では、点滴をすることで逆に別の問題もでてきます」(これも正確な記憶ではないかも)とのことでした。
このN先生はいつも最後に「他にご質問はないですか?」と聞いてくるのですが、私の今の状況ではとっさにはそれ以上の質問は浮かびません。でも聞いてもらえるのは良いことですし、良い先生だと思います。

先生の話のあとに、今日の担当の看護師さんから、そのまま先生のいた部屋で話があるとのことでした。内容は、これからの準備のこと、すなわち緊急連絡先(家族構成を聞かれ、家族4人の電話番号も)、ここでの最期で家族が泊まることがあるか、母に着せる服(母の好きだった服)、葬儀社のこと等の説明です。昨日の今日ですが、もうそんな状態なのですね。

その後、また母の個室に行くと看護師さんがモルヒネの注射をした後のようでした。「もう薬(錠剤)は飲めないのでね」とのことでした。私から持ってきた小さなほんの1切れのスイカとメロン、いちご1粒を出して「これってどうしたら母に食べてもらえますかね?」と聞くと「こちらで絞ってきて、口の近くにスポンジで持っていくようにしますよ」とのことでしたので、全部そのまま渡しました。その後にこのしぼり汁を看護師さんが持ってきたので、母に「スイカとメロンといちご、どれがいい?」と聞くと母は、小さな声で「スイカ」と答えました。それで看護師さんが楊枝の先にスポンジがついたようなもの(写真)?で、母の唇にもっていくと、母は冷たかったのか、少し顔をしかめましたが、その後に小さな声で「おいしい」と言いました。そういえば、母は冷たいものは苦手でしたね。
また、何とか母が喜ばないかと思い、私のスマホにあるひ孫(K君)の写真と動画を見せたのですが、これも私の経験済みなのですが、1才くらいの動画が大のお気に入りなのですね。この時ばかりは母に笑みが戻りました。まあ痛みがあるとだめでしょうが。

まあ、そんなことで、約1時間居てY病院を出ました。帰り道で、たまたま家の近くにある葬儀社と同系列の葬儀社があり、人がいたので寄ってみると、ちょうど話ができることになり、一応の話を聞いて、入会が必要とのことですぐに手続きをしました。

その後、一旦帰宅して、今度は17時にCグループホームの退去と荷物の引き取りがありました。17時に約束をしていたので、CグループホームのYさんに今日のことを話し、母の今日の写真を見せ、余命のことも言いました。びっくりされていました。なお、私のマンションでは多くの荷物は置けないので、32インチのテレビと足踏みローラー、小さなマッサージ器など不要なものはこちらで使うか処分してもらえることになり助かりました。また、服も処分できる由で、母に着せる最期の服だけを女房が選びました。帰り間際に、多くの看取りの経験のあるYさんに母の今後について聞いてみると、「食べれなくなってから2週間くらいでしょうね。お母さんの場合は、腎盂がんのせいで、最近は多少お腹の辺りがふっくらしていたので、まだ先のようでは」というお話でした。母は手術後、今日で2週間でした。但し、ゼリーだけだったようですが・・・