Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護92:埼玉の叔母(母の妹)が来る①・・膨大な衣類を見て?

和箪笥の中を引っ張り出した!

2024年1月7日に、埼玉から叔母(母の妹)が、コロナ以来、初めて大阪に用事を兼ねて、母に面会に来ました。母は8人兄弟姉妹なのですが、母は上から2番目の長女で、叔母は8番目の次女で、何と18才も離れた唯一の姉妹です。母は、小さい頃この妹(私の叔母)の子守をさせられたとよく言っていましたね。女同士なので、話やすさもあるのでしょう、他の男兄弟とは違う「近さ」なのです。

この叔母は、長年、生け花の先生をしており、埼玉に嫁いだ後、後期高齢者となった今も現役で教えている由です。コロナ前には、毎年2回程度、大阪の大きなホテルで生け花を活ける催し(私は詳細?)があり、その都度、私の実家(今の大阪の空き家)に泊まっていたのです。叔母は、コロナ後も毎月、母に電話をしてくれており、私もたまに電話で話をします。また、たまたま私が去年の10月に横浜と東京に行く機会があり、埼玉まで足を延ばして、これも数年ぶりに叔母に会って、母の現在の様子の話をしたこともありました。(以前にこのブログでも書きました)

叔母からは、来る2日前に、「当日は(催しのある)大阪のホテルから実家(空き家)に17時頃に、TW(最寄り)駅に行く」とだけ電話があり、その日は、私は空き家に早めに行って、部屋の掃除やその日の夕食の準備等をしていたのですが、17時前になっても、電話もなく、こちらから電話をしても出ないので、どうしたものだろうと心配していたのです。まあ、その内に電話があるだろうと、近くのスーパーで買い物をしたかったので、その後に駅に向かおうと車を出したのです。

家からでて、50メートルも行かないところでしょうか、何か大きな荷物を持って、着物で歩いてくる人がいたのですね。じっくり見ると叔母でした。慌てて車を端に寄せ、「どないしたんや?」と言うと、「携帯を埼玉の家に忘れてきた。」と言うのですね。駅から約1キロを着物と草履で歩いてきたのです。もう少し私が早く家を出ていれば行き違いで、一体、寒い中どうしたのでしょうね。それを言うと、「前に着付けしてもらった近くのパーマ屋さんで、待たしてもらおうかと思ってたんよ。」と言います。実はそのパーマ屋さんは、以前、母が言われるままに、足湯までして24000円以上も払った店(これも以前に書きました)で、少なくとも私は、顔も見たくない店!?でしたが・・。

まあ、無事に会えたことはラッキーでした。叔母は、2泊3日の予定で、今日は家で、夕食と母の膨大な衣類等をみてもらい、明日は、墓参りと同じ市内の親戚の家に私が車でアテンドして会う予定で、3日目に車で80キロ移動し、私の家に行くとともに、近くの母のいるグループホームで面会し、その後に西明石駅から新幹線で帰る予定です。

初日は、叔母が来る前に私が先に来て準備をしていたのですが、この前の記事に書いた「給湯器888」問題、ガスファンヒーターがつかないとか、ウオシュレット故障やらといろいろありました。その日は、叔母も疲れているだろうからと思い、夕食を私が準備していた「鳥団子鍋」にしたのですが、これが失敗でした。どうも固形の出汁を使ったのですが、これが全く味がダメ!!でしたね。叔母は何も言いませんでしたが、不味くて悪かったと思いますね。

その後、叔母に母の箪笥(洋箪笥5棹、和箪笥1棹、ハンガーラック2本以上!!)を見てもらいました。

ひととおり見た後の叔母と私の会話です。

叔母:「服が1000着はあるな。すごいな。」

私:「そりゃ、一つも捨てへんもん。終活も断捨離も言葉さえ知らんやろ。」

叔母:「R社(母が55才から72才まで縫製の仕事をしていた会社)から、結構、買ったり、引き取ったりって聞いたよ。良いものが多いと思うよ。それに、昔のもので今、流行ってるのあるし、まだ使えるの結構あるんちゃう?」

私:「2019年頃から、防虫剤(ナフタリン)をやってないし、洗濯もしてないのがあって、純毛のが多いけど、多分ほとんどあかんやろ。」

叔母:「あんたんとこの、Sさん(女房)とか、Eちゃん(娘)、Nちゃん(娘)とかは?」

私:「みんな163センチ以上で、サイズが合うのは、Yちゃん(叔母のこと)ぐらいやな。それに、俺はもう整理もほとほと疲れたんで、見たくもないねん。処分はもう業者に丸投げしたいねん。」

*母と叔母はほぼ同じサイズ(150センチ台で身長も体重も)なのです。

そんなこんなで、その晩と翌日も、母の衣類を見てもらって、母のいるグループホームへ持って行く物と、何とか使えて、叔母自身もそうですが、誰かにあげれるものを仕分けしてくれました。

私は言うと、もう見ているだけで疲れるのですが、叔母は、翌日は親戚と会い、叔母の長男くん(私の従弟)曰く、「母のマシンガントーク」で、ほぼすべての会話の8割を喋り続け、帰ってきては、ひたすら頑張って仕分けをしていましたね。親戚訪問と母との面会の話は別途にします。

使えそうなものがこれだけ!