Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護93:埼玉の叔母(母の妹)が来る②・・母とコロナ後の初面会!

空き家から持ってきた服を叔母が母に選ばせる!

埼玉から叔母(母の妹)が私の実家(空き家)に来て、2日目の2024年1月8日は、朝から私の叔父夫婦(叔母の兄夫婦)が来てくれました。叔父夫婦とは、昨年、母が、グループホームに入所の直前に数年ぶりに連絡ができ、運良く母とは会っています。叔母と(兄である)叔父夫婦は、定期的に電話で連絡はしていますが、会うのはコロナ以降初めてです。この時は、ひとしきり昔話に花が咲き、叔母の例の「マシンガントーク」がさく裂しました。

その後、11時頃から、車で5キロほどの祖父母(母と叔母の両親)の墓参りに行き、その後、さらに2キロほど行ったところにある私の義叔母(母の弟かつ、叔母の兄の奥様)の家まで行き、昼をごちそうになりました。そこでも、ほぼ叔母が8割は喋り続けるという状態です。

それが終わり、次に私の父と兄のお墓に参り、やっと夕方に空き家に戻りました。

母と次女である叔母は8人兄弟姉妹ですが、連絡がすぐに取れるのは、この2家族だけです。昔は、地元のお祭りに広い祖父母の家に全員集合していた時期もあり、それはそれは大変な人数でした。私の従弟も、二桁もいたのに、たまに会うのは、4人ほど。この日は、コロナ以来久しぶりに、従弟のTちゃん(訪問した義叔母の次男)にも会えました。祖父母の家も今はなくなり、昔のあの頃の賑やかさって、もう二度と来ないのは寂しいですが、これも時の流れなのでしょうね。

どこでも昔話に花が咲きます。古き良き(良いことばかりではなかったですが)時代の懐かしい親戚の話も、たまにはいいものですね。

その日は、家に帰ったあとも、叔母は服の選別を続けていました。一方、私は、いつも通り、親戚ではないのですが、お世話になったほぼ兄の「T兄ちゃん(昨年亡くなった)」の奥様のお顔を見に行きました。

2024年1月9日、叔母が来て3日目。朝から車で80キロの私の家まで、車で移動します。私は久々の高速道路利用でした。まあ、国道2号線を行く場合の半分の時間(1時間半)で行けますね。ちょうど昼前だったので、今日までろくなものも食べ(させ)てないので、何を食べたいか叔母に聞いたのです。そしたら油ものはダメと言われ、私の家の近くの「ごちそう村」にしたのですが、ここのランチは気に行ってくれましたね。そういえば、私が昨年10月に埼玉の叔母の家に行ったときは、「木曽路」でしたので、小皿のいっぱいある和食が好きなのでした。(下の写真)

小皿のいっぱいあるランチが好きなのです!

その後、私の家(マンション)に行ったのですが、あいにく女房も急な用でおらず、娘も平日で仕事でおらず、取り合えず一休みして、母への面会予約をしてあった1時半に、グループホームに行きました。

ここで、コロナ以来のご対面になりました。予め伝えてあったので、2階から連れられてきた母は、満面の笑みでしたね。良かった。叔母も、15分間で、今まで会えなかった時間を埋めるがごとく、例のマシンガントークで喋り続けましたね。

叔母には、グループホームのことや面会ルールのことなど予め、この二日間で教えていましたので、まず、埼玉から持ってきた長時間煮たという「黒豆」と、昨日に私が買ったいちごを持って来ていましたので、母に食べさせながら、決められた15分(実際は20分で、これは内緒の話)で、目いっぱいの「マシンガントーク」でしたね。でも、母が理解したのかは?ですが。最後に、空き家で叔母が選別したダンボール箱1杯の、服をひとつづつ母に見せて、「これは、要る?、要らない?」とどんどん聞いていきます。母も結構なスピードで、「うーんちょっとなあー」とか、「それは覚えているなあ」とか、「それは要る」とか答えていきます。それが、上の写真。
何だかテンポが、バナナのたたき売りでしたね。でも、この方法は、良かったと思います。叔母に感謝、感謝です。他の者にはちょっと思いつきませんね。

まあ、これで今回の叔母の2泊3日の母の面会の旅は終わりです。本当に内容の濃い時間でした。叔母を西明石駅まで車で送って行きましたが、携帯を忘れてきているので、私とLINEが繋がっている長男(私の従弟)K君に、乗車時刻等をLINEしておきました。

それにしても、携帯(後でわかったのですが、スマホでした)なしで、何ら支障なく過ごせるというか、その代わりを私がすることになったのですが、サラリーマン時代に、人に任せてうまく事を進める人って、世の中で結構、見て来たなあと思いますね!?。

 

(蛇足)

叔母は、お花の先生で、今回、最初から最後まで、着物と草履でした。新幹線もです。まあ、新幹線で着物の人って、1000人に3人(3シグマですね)もいないのではないでしょうかね。頑なというか、生け花の先生の矜持なのか、あんなもので何時間も過ごせるのですね。いつもですが、社交性があり、マシンガントークでどんな相手でもほぼ8割は叔母が喋るというパワフルさでしたね。でもなあ、母と一緒で、断捨離とは無縁ですね。空き家の「不良在庫」のほんの一部が、宅急便で埼玉へ振替えられましたね・・。