Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護100:松島トモ子さんの介護の本を読んで・・引き揚げ者の記録でもあるんです!

この本をブックオフで見つけた時に、まずタイトルの「幸せ」という言葉に違和感があったので買うのを躊躇ったのです。でも、私の想像した通りになるか、その逆なのかを確かめたくて読んでみようと思ったのでした。

松島さんは、私の世代ではテレビでよく見ていたので知っていますが、今の若い人は知らないだろうなと思いますね。あのライオンにかまれた松島さんと言ってもわからないでしょう。少し、ネガティブな印象でした。

松島さんは、終戦直前の1945年7月の満州奉天生まれで、引き揚げ者なのですね。初めて知りました。この本は、介護のことももちろんあるのですが、この引き揚げのことも結構な量で書いておられたので、当初の予想に反して一挙に興味がわきました。以前、このブログにも書きましたが、私の父の姉(私の伯母)が満州からの引き揚げ者で、途中で実子を亡くしています。引き揚げ者のことは、新田次郎さんの奥様で「藤原てい」さんの書いた「流れる星は生きている」にその過酷さが書かれています。この藤原ていさんの次男の藤原正彦さん(数学者で作家)も、その兄と妹とともに、引き揚げ者です。また、つい最近、テレビで知ったのですが、漫画家の赤塚不二夫さんも引き揚げ者で、せっかく帰国できたのに、すぐに栄養失調で妹さんを亡くされています。その番組では、赤塚さんは、すべてを受け入れる(ざるを得ない)という意味で、「それでいいのだ。」を言ったとか・。

松島さんのお父さんは、トモ子さんの顔を見ないで、シベリヤ抑留で亡くなっていたのですが、そのことが判ったのは亡くなってから数年後です。ご両親の結婚生活は満州での6カ月間のみということで、お母さんはその後、再婚することもなく、ひとりでトモ子さんを育てます。たまたまバレイをやっていたので、3才のころから子役で有名になり、超売れっ子のまま、多忙な時期を母子で過ごし、トモ子さんも結婚することもなかったのですが、お母さんが95才の時に「レビー小体型認知症」が発症したという経緯です。

この本が出版されのは、2019年12月ですので、その当時お母さんが98才で、95才以降の3年間の在宅介護の記録ですが、松島さんは70才まで、家事をいっさいやったことがなく、お湯さえ沸かせないという状態だった由ですね。まあ、有名人ってそんなものなのでしょうね。一般人と違い、落差の大きさは尋常ではなく、本で書かかれているよりも大変だったと推測しますね。おまけに、レビー小体型認知症というのは、たまに狂暴性がでるので、大変なことがよくわかりました。また、介護の場で頼りになるご親戚でマ-ちゃんという人がひとりいて、この人が活躍するのが良かったです。

なお、この本の中で、「一卵性親子」という言葉を久しぶりに聞きました。私は、そのことも施設ではなく在宅介護を選ばれたことに関係しているように思いますが。私の親戚の中に、同様の「一卵性親子」のようなケースでお母さんが亡くなったあと、大変な状況になったと聞いたことがあり、私は個人的に敏感に反応するワードなのですが、最近はあまり聞かなくなりました。勉強不足で恐縮ですが、何か使えないワードになったのでしょうかね。

また、この本では、たまたまペレストロイカ直後の日ロ関係が良かった時に、松島さん母子がシベリヤのお父さんの亡くなった(であろう)場所へ行き、墓参されたいきさつのことも書いておられます。あっという間に、もう、ロシアへは簡単に行けない時代になりました。

この本は、当初タイトルだけ見て、あまり期待しないで読んだ本なのですが、多くが私の興味の対象でもあったこともあり、読み甲斐がありました。非常に良かったと思います。

なお、読後にネットで調べると、お母さんは、2021年10月に100才で、お亡くなりになっているようです。合掌。

お母さんが亡くなったあとのことも大いに気になったのですがどうなのでしょうね。

(蛇足)

松島さんの本名は、「奉子」でトモ子なのですが、生まれた場所である「天」の奉と、マレーの虎の「山下文大将」にちなんでいると本には書かれています。そういえば、最近亡くなった小澤征爾さんは、「板垣四郎大将」と「石原莞中将」からのネイミングでしたね。歴史は歴史として、この名前の由来の人達も知っている人が少ないでしょうね。