Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護101:月1回の眼科通院・・いつもの車の中での「いちご」タイム!

車の中での「いちご」タイム

2024年2月13日、天気は晴れで、真冬なのに気温も14度以上まであがりました。

今日は月に1回の眼科通院日です。いつも通り9時きっかりにネットで予約すると、7番目とでました。ほんのちょっとのタッチの差で、結構な差がでるのですね。これだと9時30分頃に、グループホームに母を迎えに行くことになるかなと思いゆっくりしていたのですが、9時15分くらいに自動音声の電話がきたので、慌てて車を出しました。

グループホームに着き、2階から降りてきた母の足取りは、前よりも重くなっていました。急いで車に乗せようとしたのですが、足取りもそうですが、車の外から中に入るのに、手の力も落ちてきて、車に座らせるのも介助なしでは無理になりました。また、上履きから外出用の靴に履き替える時に、足の踝と足先を触ってみたのですが、前よりも浮腫がひどいようですね。もう毎回となるので、ケアマネのHさんに言うのは止めましたが、やはり施設内でほとんど歩いていないのでしょう。

眼科に着いてからも、視力検査や診察室への移動も一苦労です。そのうち、通院も車椅子になるのかなあと思いました。診断の結果は、緑内障の一番肝心な眼圧は、14で、前月は12でしたので少し悪化ですが、まあ許容範囲です。2種類の点眼薬は、ちゃんとやっていると推測できます。

いつも待ち時間に母と話をするのですが、ほとんどは私からの質問です。「何か食べたいものあるの?、ほしいものないの?」から始まるのですが、イエスかノーではない質問は答えが返ってこないことが多いです。ただ、スマホで親戚の写真を見せて「これ誰?」とかやると、親戚のことは結構クリアに覚えていますね。まだまだ大丈夫そうです。

その後に、大阪の家の大量の荷物をどうするかという話をしたのですが、嫌なのでしょうね、「もう85才で死ぬようになってたらええのになあ?」と言います。前回は、85才ではなくて、「決まった年」と言っていましたが。なんで85才なのか?、それで思い出したのですが、母は85才くらいまで運転をしていました。私がたまに電車で帰省した時に、最寄りの駅まで1.2キロあるので、車で来てほしいと言うと来てくれてましたね。今から考えると母にとって85才というのは、シャキッとしていた最後なので、自分でもわかっているのかも知れませんね。

その後、使っていた新車の軽4は、乗り換えて100キロも走らないで、少し壁で「こすって」しまい、買ったディーラーの言い値の10万円で私が知らない間に売ってましたね。まあ、独居老人のやることってこんなもんと思えば、腹も立ちませんが。

通院も終わりましたので、今回も「いちご2粒」と部屋へ持って行くチョコレート、ケアマネさんからもうすぐなくなると言われた養命酒を持ってきていましたので、車に乗せて、近くのE海岸まで行って、車内で景色を見ながら「いちご食べるか?」と言うと、前回同様に、何も美味しいものを食べさせてもらってない子供のように、「2粒」をたいらげました。まあ、いつも「いちご」タイムで食欲のあることはいいことですが。それが上の写真。

近くのE海岸のそばに車を停めて、「いちご」タイム!

いつもの「いちご2粒」と部屋にもっていくチョコレート

この日は、補充の養命酒とドリップコーヒーを持って行きました。