Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護51:B5版31行のノートにびっしり・・小さな文字で延々!

びっしり書かれたノート(2011年4月、5月)

先日、空き家に行った時に、母が書いた2011年(平成23年)4月がスタートで、びっしり書かれたB5版ノートを見つけました。

その2011年4月と5月のものが上の写真。B5版31行のノートに、1日から31日まで、1日1行、その日の出来事、例えばカラオケ教室(市のものと有志のもの)、ダンス教室、旅行会、老人会、歩こう会、通院(大阪市大へ月1回と地元の眼科、内科)、お寺さん(月1回と父と兄の命日の年14回)、墓参(当時は奈良の父の実家の墓に月1回と地元の父と兄の墓)とかが書かれ、その日の出費とメモ、備忘録などが、小さな蟻の這ったような字でびっしりと書かれています。

見つけたのは、2011年からの2冊でしたが、他にもありそうですね。家計簿でもあるのでしょう。几帳面に書かれています。そういえば一人暮らしの母が夜に、習慣なのか、この分厚いノートを取り出して何やら書いていたのを思い出しました。2011年は、母は80才で、その頃のノートは、ほとんど毎日何かの行事で埋まっています。母は72才で例のアパレルの会社を辞めましたが、まったく自由なのに、これだけの予定があったのですね。すごいです。

このノートがいつまで続いたのか?。それは、91才で今のグループホームへ入所した2023年4月3日の直前まででした。延々続けていたのですね。認知症になっても、蟻の這ったような小さな字のままで。

これらを見ると、最初の頃のページは、「1日1行」で、ほぼ全行がびっしり埋まっています。2019年頃までは、ほぼこの状態でどのページも真っ黒です。ところが、ちょうど2019年の散歩での転倒があり、2020年にコロナがあり、徐々に空白の1行が広がっていきます。下の写真は、最後の2023年2月と3月のページです。ほぼ真っ白です。

このノートを最初から最後まで見ていると、コロナで人との接触がなくなり、当時のケアマネのYさんからデイサービスの話は聞いていたのですが、コロナで積極的に受け入れをしていないとかあり、私も母が嫌がるので勧めなかったのです。これが良くなかったと思いますね。人との接触を断たれたのが、認知症のトリガーになったのは確実です。

それらを眺めていて見つけた1行が、「〇〇(私の名前)が怒ってる。なぜだかわからない」・・・・うーん。私がひどい言い方をしたのでしょうね。

「母さん、ごめん。」の著者の松浦晋也さんの気持ちです。

最後のページ(2023年2月と3月のノート)