Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護57:52日ぶりに大阪の空き家へ・・・今頃墓参りに行く。

車に積んだホームへの寄付用の押絵(3つ目)

2023年8月30日に、52日ぶりに大阪の空き家に行くことにしました。今回もすべきことがたくさんあるのです。

いつも通り、車で高速道路は高いので使わず、国道2号線と43号線で片道80キロ、3時間のコースです。最近はだんだんと、このルートの運転もいやになってきました。今回、びっくりなのは、ガソリン代が1リットル185円になっていたことです。この値段では、電車の方が安くなりますね。でも墓参りもするし、持って帰る荷物も、例のホームへ寄付する母製作の押絵(写真)とか大量ですので、仕方がないですね。

空き家に着くと、まず、空き巣に合っておらず、また家の外観も見たところ、大丈夫そうなので、一安心です。ただ、唯一ある樫の木の枝が伸び放題です。家に入り、窓をすべて開け、風を通し、掃除機をかけ、ほっと一息つく間もなくお盆の台風で行けなかった墓参りに向かいます。確か、昨年は、母と2か所行ったのですが、母は昨年が最後になりました。いつもは3か所回るのですが、奈良の父方のお墓は少し遠いので、この時に初めて、母が疲れたのか「もういい。」と言ったのでした。

今回は私ひとりで、まず2か所の墓参りは済ませたのですが、すでに夕方近くになっていましたので、奈良は諦め、明日にすることにしました。墓参りをひとりで行ってみて思うのですが、なんだか寂しいですね。その上、夕方は行きたくなくなりますね。

いつもは、母が墓花と槇(まき)を買っていたのですが、今回は私が自分で買ってみると結構な値段ですよね。(母の両親の墓は親戚のTちゃんが世話をしていて、いつも花があるので、槇だけにしています。)

その日は、結局、T姉さん(今年3月に亡くなったT兄ちゃんの奥様)の家だけは挨拶に伺い、T兄ちゃんの仏壇に手を合わせ、しばらく母のことなど雑談をして終わりました。

翌日、朝から奈良の大和高田の父の両親のお墓に向かいました。家からは20キロ、もう30年以上前のことですが、父が生きていたころは、家族4人(両親と兄と私)で、車でお盆の時期に行ったものです。父は奈良のお墓しか行かなかったので、いつも高速道路を使い、途中の「香芝」インターの近くのドライブインでラーメンを食べていましたね。たまにあのラーメン屋に行きたくなりますが・・。父が亡くなった以降は、私と母は、母の両親のお墓経由で行くので、高速道路を使わず、大阪と奈良の県境にある竹の内峠を車で越えて行くようになりました。ともあれ、今回は、1年ぶり以上なので、お墓はどうなっているか気になっていました。

お墓についてみると、びっくりです。綺麗に掃除され、お墓の「花差し」だけになっていたのですが、敷き詰めてある五色の石もきれいになっていました。ここの墓参りをするのは、母と私だけと思っていたのですが、10年ほど前でしょうか、お墓が綺麗に掃除されているので、誰だかわからず、メモ(私の名前と電話番号)をお墓に置いたのです。その後、電話があり、父の二番目の姉の息子さん(私の従兄にあたる)とわかりました。父とその姉も10才以上離れているうえに、そのご家族も色々と複雑で、私はそのような従兄がいるとは聞いていたのですが、年も離れており、会ったことがなかったのです。そのことがあって以降、一度だけ手紙をもらったのですが、先方の年齢(高齢)や事情があるのでしょう、お互い会おうというとろこまでには至らず、毎年墓参りに来て、お墓をみると、「ああ、お参りにきている」ということがわかってほっとするような仲なのです。今回は、私が墓花を挿したので、多分私が来たことは、次回わかるでしょうね。

久しぶりに墓に刻まれた文字をしっかり読んでわかったのですが、このお墓は、父の両親と父の姉(婿をとった長女)の満州で亡くした息子2人、若くして亡くなった父の弟の墓で、件の引き揚げ者の姉(長女)夫婦は、晩年は、神奈川の娘(私の従妹)夫婦と同居で、そのまま神奈川なのでした。それと、満州で亡くなったのは2人なのですが、引き揚げで亡くなったのでひとりでした。というのは、墓石の逝去日は、このひとりのみ昭和20年8月15日なのですね・・。

 

墓参り以外にも、いろいろすべきことがいっぱいでした。次回にでも。この日も、昼は34度でした。朝、夕が多少緩んだとも思いますが、まだまだ酷暑です。