Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護103:2年前に介護者の私が救急搬送!・・あれから介護や自分のことで思うこと?

 

今日は2月24日ですが、ちょうど2年前の2月23日のことです。私が母の在宅介護をしていた時に、22日に実家の足踏みミシンの処分を終え、車で家に戻ってきた翌日23日の朝のこと、朝起きてトイレに行こうとするも、まっすぐに歩けなかったのです。壁づたいに何とか歩いてトイレに行きましたが、初めての経験でとっさに脳梗塞を疑い、頭を動かしてはマズイと思いましたので、女房に頼んで、救急車を呼んでもらいました。私としては救急車を呼んだのは、生まれて初めてでした。

平衡感覚がまったくないのです。救急隊の方が血圧を測ると、上が180もありました。病院に着くと、すぐに血液検査やMRIやいろいろと検査をしてもらい、最終的な診断がでました。担当の先生曰く、「脳ではない。良性。耳だろう。病室はコロナで満床なので、薬を出すから、家に帰って様子をみてほしい」!?とのことでした。その後、担架から起き上がれるか聞かれ、「何とか」と言い、起き上がれはしたものの、ふらふら状態で、歩く自信もなくまっすぐ歩けない上、歩くのが怖いのですね。先生は、脳ではなくて良かったみたいな言い方!でした。当時はまだコロナの最終段階で、入院もできず、このようなことになったのです。

その後、この病名は、翌日に近くの耳鼻科への受診により、「良性発作性頭位めまい症( BPPV )」とわかりました。このBPPVというのは、簡単に言うと、耳の三半規管(XYZ軸3つのループ状の管)があって、どれかの管の中のリンパ液に小さな炭酸カルシウム粒が本来のセンサー位置から出てしまい(ジャイロのような機能なのでしょう)、誤った情報を脳に伝え、回転性のめまいを起こす病気のようです。サッカーの澤穂希選手が遠征中になり、病名はこの時に有名になった由です。

私の場合は、この回転性のめまいが長らく続き、まともに歩けるのに、ほぼ1か月かかり、母の介護のための運転ができるまでには2か月かかりました。たまたまこの日は、ウクライナでの戦争が始まった時だったので、家ですることもなく、毎日ウクライナのニュースばかり見ていましたね。この時期にウクライナの記事がでると必ず「BPPV」を思い出すのです。

その当時の母の介護の状況は、ちょうど介護等級の見直しもあり、毎週1回の訪問看護と、毎週5日はヘルパーさんが来てくれていたので、ある意味安定していたので助かりました。もし、週3日だけとか、看護師さんが来てくれていなかったらと考えるとぞっとしますね。その意味でも、これまでいろいろと対応していたのが良かったと思います。

いずれにしても、この時から自分自身のことと母の介護のことをいろいろ考えたのです。母の介護者は独身だった兄が早く(33才)で亡くなったので、私ひとりです。私の女房はいますが、まあ、私の母との距離は、「盆正月だけ」!?の関係、あまり言いたくないのですが「必要最小限」ですね。

あれから2年。早いもので、私はちょうど来年に古希を迎えます。世間でいう「8050」の更に上、「9070」ということになりましょうか。今の男女の平均寿命からして、ここまで来ると、介護者である私が先に「逝く」ことも十分あり得ますね。その時のことも心配しなくてはならなくなりました。母が今のグループホームに入所して、11カ月経ちましたが、松浦晋也さんの本「母さん、ごめん。」の中では、施設に入ってからのことで、病院への通院や日ごろの対応で結構大変な様子が書かれていました。今はたまたま母が平穏でも、いつ変化が起こるかわかりませんし、私とて、「BPPV」のような突発的な何かが起こるか心配はつきませんね。「老老介護」とともに、「認認介護」とも言われる言葉もあり、現実味を帯びてきました。母の介護をしていると、私の家族は一般的な家族と比べ認知症により敏感になり、私のちょっとしたミスにも過剰に反応(認知症ではないか?)し、私からすると家族の言葉が何と言うか、ちょっとした「ハラスメント的」な物言いに聞こえたりすることもありますね。

また、男の平均的な健康寿命は、72才と言われています。私は今、ある同窓会の幹事をやっているのですが、その中で、結構な比率で鬼籍に入った同窓生のことをよく聞きます。私の場合のこの健康寿命までの期間は、今からあと約3年。介護もありますが、まあ母はグループホームに入って一応、大過なく過ごしているので、この間で何ができるかとよく考えますね。その意味で、趣味の自転車(ロードバイク)は、その間だけでも続けたいのですが・・。

(追記)

私が、この「BPPV」になる直前に、母の足踏みミシンの処分をしたのですが、大部分を業者さんに持って行ってもらったものの、足踏みの部分は処分できないと言われ、私が、車で市の有料処分場まで自力で運んだのです。実はこれを車の中へ搬入する時に、車のうしろのドア(バンタイプの上にあげるタイプ)の天井の位置で頭を強打しました。後になって思うと、どうもあれが影響していると思うのですが・・。

「BPPV」の治癒の経過は、私の別のブログでも書いています。同じような経験をされている方はぜひご覧ください。

note.com