Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護138:母の様態を見ながら!・・2か月ぶりに大阪の空き家へ行く!

92才母の腎盂がんステージ4で、施設で転倒し、大腿骨骨折入院で手術後13日です。

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郵便受けはいっぱい!

2024年5月22日に、大阪で友人と会う予定がありました。実はある同窓会の幹事をやっていて、この事前打ち合わせなのでした。この予定も、21日の母の様態が少し好転したかに思え、ホスピスへの転院が決まったこともあり、暫く大丈夫かという状況判断でキャンセルをせずに済みました。

3月の母の腎盂がんの告知から4月の私の前立腺検査とがん告知、母の5月4日の転倒での大腿骨骨折の大手術等あり、空き家に行くのはほぼ2か月ぶりです。朝から車で国道2号線で3時間かけて着くと、郵便受けはいっぱい(写真)だし、雑草が伸びているのと、剪定で裸にした樫の木に青々と葉がいっぱい出ていました。慌ただしい2カ月で、季節は速く進む感じですね。

家に着いて全部の窓を開け、掃除機をかけ、家の周りの雑草を取り除いていたら、お隣の奥さん(Hさん)が出てきて、「お母さんどうですか?」と聞かれたので、一応の顛末を話すと、Hさんも実家(確か広島?)の91才のお母さんが転倒で倒れ脳梗塞で左側の半身不随で大変だとのことでした。私とほぼ同じ年と以前に聞きましたので、同世代でよく似た状況ですね。お互いに報告しあって、胸の内で「頑張って」と言いました。

その後、何とかほこりも気にならずに今晩、ベッドで清潔に寝れるようにして、夕方の5人の集まりに参加しました。久しぶりに少しゆったりした時間を過ごしましたね。適度のアルコールでたまには気分転換が必要です。

空き家に着いた日に、近くに住む親戚の義叔母にLINEをしておいたのですが、翌23日の朝に夫婦(叔父と義叔母)でここに来るというので久しぶりで会いました。一通りここ2か月の一応の話をしておき、今後のことや空き家の始末のことで相談に乗ってもらいました。

まあ、母と一回り(12才下)違いの叔父も80才を越え、元気そうなので安心はしましたが、今年3月で仕事を完全リタイヤしたとか、運転免許を返上したとか色々変化も出てきているようです。義叔母については、叔父の両親(私の祖父母)と自身の両親の介護をしたので色々と昔の介護のことも聞けました。自らの手で介護をした人ってやはり言葉の端々で「受け売り」ではない違いってありますね。

その後に、帰路の80キロを車で帰るのですが、たまたまA市民病院から明日24日の転院の前に予め母のパジャマを持って来てほしいとの要請があったので、空き家の中を探して残っていたパジャマ(これも大量にあり)の中から良さそうなものを選んで、帰路の途中にA市民病院に届けることにしました。フロントで「明日、転院が決まったので、こちらからの要請でパジャマを届けにきました」とはっきり言うと、ナースセンターに届けてくださいと言われ、ついでに母の様子を見に行くと、前に母の転院のことで相談した病院内の「地域医療支援課」のYさんが来ました。フロントから連絡がいったのでしょう。たまたまその場に看護師さんがいたのですが、その方の顔には見覚えがありました。母の食事のことで、「お粥がきらいでご飯を食べていた人は、ひと間違いでした。(お母さんは)ゼリーです」と言った人でしたね。その看護師さんに私から「今はどの程度食べれてるんですか?」と聞くと、「今日はうどんを半分は食べられましたね。」とのことでした。これには母はすぐ頷いたので、母も痛みも少し和らいでいたのでしょうね、すぐに反応したのでびっくりしました。今回のうどん半分は正しい!と思いますね。

空き家で見つけたパジャマ

また、私から、「モルヒネはどの程度の量なのですかね?」と聞くと、「口から飲むタイプのもので、1ミリグラムですね」とのことでした。実は従妹の看護師のCちゃんからモルヒネの量について聞かれていたんです。この1ミリグラムが多いのかどうか、私は知りませんが。