Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のこと、2024年6月12日の旅立ち以降のことを書いています。

介護を終え1:回りの景色がやっと戻った!

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2024年6月12日に、私の母の介護は終了しました。翌日13日に通夜を、翌々日14日に家族葬での葬儀を終えました。私にとっては、回りの景色が少し霞んで見えるようなというか、モノクロームになったような気がしたのですが、2週間経ってみて、普通のカラーに戻ったようなそんな感じです。

母を看取って思ったのは、母は最期まで「闘っていた」ように思いますね。独居生活を36年、大阪から80キロ離れた環境の違う私の家の近くの施設で14カ月過ごしました。その後に施設で骨折し入院で20日間、ホスピス転院で20日間、すべて闘っていたと思います。腎盂がんステージ4の告知から104日でした・・・まあそれ以前の戦中、戦後を生き抜き、私の知る限り、祖父がやっていた家業の牛乳販売業やプロのテーラー(洋裁)、55才から72才までのアパレル会社での勤務等もそうですが、本当によく頑張り、闘った人生だったと思いますね・・・

 

葬儀に関しては、家族葬とはいえ、結構決めることが多かったですね。幸いにも、非常によく気が付く葬儀社(T会館)の方のお陰で助かりました。まあよくCMや看板に書いてある最小限の価格は、ほとんど参考にならないこともよくわかりました。葬儀の仕様というかやり方は、私よりも女房と同居の長女の意向でほぼ決めたと思います。終わってから、私から女房には、今回の学習効果として、「私の時は一切の装飾の類は不要、選択肢に素焼きか無垢があればそれでよし」と言っておきましたね。気になっていたのは、母が大阪にいたころに毎月命日(父か兄の)に来てもらっていたK寺のご住職に、遠いのでどう対応するかが分からなかったことでした。これは葬儀社の助言で、まず、私が電話で大阪のK寺のご住職に都合を聞き、それが無理(そもそも無理なのですが)となれば、近隣の同じ宗派(浄土真宗本願寺派)のご住職にお願いする由でしたので、これもスムースでした。

葬儀を終えてみて、役所への届けから始まる色々な事務がありました。実は母が生前よく言っていて私は知っていたのですが、自分のお葬式代と称して2社の生命保険を残していました。金額までは定かには覚えていませんでしたが、葬儀代には十分でした。でも、これから墓をどうするかもありますし・・

母のガラケーの解約、国民健康保険証の返却と埋葬料や残りの高額療養費の請求、国民年金事務所への届け出、空き家の電気ガス、水道料金の振替先変更、空き家の固定資産税の引き落とし先変更、葬儀料のT会館への支払い、入院先2病院への支払い、入院時のリネン等レンタル料の支払い、空き家の相続登記、預金口座凍結以降の書類準備など書き出しただけで眩暈がします。それと、厄介なのが、私は疎いのですが、空き家のある大阪のK寺のご住職への相談で、「49日の法要」をどうするかと、父と兄の墓(K寺ではない)も含め母の墓のことで、これからは大阪に行くことがなくなることへの対応ですね。それに加え、何と言っても一番時間がかかるのは、空き家にある大量の「ものの処分」と家の売却ですが・・

まあ、大変ですが、できるだけ届け出や申告は自分でしていますし、今後もする予定です。そういえば、私はリタイヤ後の2022年にFP3級と2級をとったのでした。もう忘れていましたね。(床に落ちたご飯粒と同じで、とっても食えない資格!)

それよりこのブログをどうするか悩みました。まああまり考えずに、徒然に書いていこうかと思っています。はてなブログは、何でもありでと思っていますが。

なお、私の前立腺がんの治療は5月8日から始まり、6カ月間は、ホルモン療法の注射と薬のみで、その後に放射線を、週5回で4週で計20回の予定です。今のところ幸いにも多少の副作用があるのですが、有酸素運動は必要なので、趣味のロードバイク(自転車)は続けています。11月の放射線治療となると、副作用が気になるところですが、それまでは精一杯何かに挑戦したいと思ってます。

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