Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のこと、2024年6月12日の旅立ち以降のことを書いています。

介護を終え6:グループホームからの返却品の中に!

母がノートに書いていたのは?

2024年7月24日、異常な暑さが続いています。母が亡くなって1か月半が経ちました。一向に後の処理が進んでいなくて、大阪の空き家での「ものの処分」や、大阪の役所でしかとれない書類もあり頭が痛いのですが、この暑さでわざわ行く気力が湧きません。それに、今週末の27日は、大阪のこの空き家で49日の法要を大阪のK寺の住職にお願いしているので、これには絶対に行かねばならず、それ以外で何度も行くのも面倒なのです。まあ「とにかく前に進んでいない」ことがストレスです。

そんな中、母がCグループホームを退所した後に、母のノートを返してもらったのですが、それを私の家(マンション)の片隅に放ってあったので見てみました。もはや「遺品」なのですが、私の感覚としては、まだこの言葉がすっきり入ってこないのですがね。そのノートを「ぼおっと」眺めていると、1ページだけに母の書いた文字が出てきました。(上の写真)

2023年6月のことが書いてありました。そもそもこのノートは、私が母を大阪から昨年の4月にCグループホームに連れてきた時に、「必要なものがあれば書いて!」と付箋をつけて渡したものでした。唯一、1ページだけに「ご長寿」というタイトルで書いてあります。グループホームなので、9名が一緒に1フロアにある個室と共有部分で共同生活をしているのですが、そのページには、9名全員の名前が母の字で書いてあります。たぶん、昨年2023年の9月23日の敬老の日に書いたのでしょう、最高齢が横綱で、その下に順に大関、関脇、小結、前頭、十両、幕下、三段目、序二段と続いています。

今もそうですが、グループホームでご一緒の方のことは、母にも何度か、年齢構成や特に仲がいい人等を聞いてみたのですが、一向に判らなかったのですね。それで、たぶん母は、敬老の日の施設の何かのイベントの機会にこれを書いたのでしょう。

まず、びっくりしたのは、母が、すべて漢字で、間違いもなく書いているのです。確か、今年の4月にホスピスを私と二人で見学した折に、自筆サインと言われて、母に「書ける?」と言うとしっかり書けたのでびっくりしたのでした。認知症が皆さんとの生活の中で改善していたと思いますね。もともと母は筆まめで、コロナ前までは、1日1行の日記というか、記録をつけていて、コロナで人との交流が断たれて、空白の多いページが出てきましたが・・

(このことは以前書きました⇒

royue.hatenablog.com

 

次に初めて知ったのですが、母は92才なのですが、9人の中では何と上から5番目なのですね。入所の時にフロアに入りましたので皆さんの顔は見ましたし、施設のホームページの写真もよく見ていましたので、ほぼ覚えているのですが、上から、横綱99才!!、大関95才、関脇94才、小結93才、それでやっと母の前頭の92才が出てきます。その下は、87才、84才、84才、76才と続きます。

私は、まあ母は最高齢に近いかなと思っていたのですが、予想がはずれました。今のグループホームって、どこもこんな状況かもしれませんね。皆さんご長寿で、長寿国を実感しました。

今、私の住むマンションの中には結構、母関係の書類(役所関係が多い)や、大阪の空き家から持ち帰った貴金属類や、まあ「遺品」が結構あります。整理しようと何かをしだすと、ついつい手を止めてしまうのです。このノートもそうなのです。いちいち手を止めたら本当に前に進みません。今までも、そのことはわかっているのですが、学習効果がないのですね。大阪の空き家の大量の「もの」の整理は、私がやると非効率でしょうし、むしろ見たくもないと思うことが多いですね。まあ、女房が少し見たら、「業者に丸投げ」が良さそうですが・・・