Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護75:埼玉の叔母(母の妹)に会いに行く・・・実際に会うことがいいのかも?

埼玉の叔母の家に会いにいった!


母は8人兄弟姉妹の上から2番目の長女ですが、現在、存命なのは、7番目の弟(12才下)と8番目の妹(16才下で76才)の2人だけです。女は2人しかいないので、母と叔母(8番目の妹)は、年の離れた姉妹で、叔母はお花の先生をしており、コロナ前までは、発表会で埼玉から大阪に来る時が年に1~2回あり、その時は必ず母のいる家(私の実家)に泊まりに来ていました。

また、48年以上も古い話ですが、埼玉の叔母の家は広かったので、私は学生時代の4年間を下宿というか居候でお世話になり、逆にこの叔母の長女(私の従妹)は大阪の有名な調理師学校に行くために私の実家に2年間いました。そういう少し近い関係で、比較的言いたいことを言う関係なのです。私とこの叔母とは8才違いなのですが、いまだに「Yちゃん」、旦那さんの義叔父は「Kさん」と呼んでいます。

コロナ以降、叔母は、お花の発表会もなくなり、大阪に来ることもなくなりましたので、定期的に電話で母の様子を気にしてくれていました。現在もグループホームに入った母に定期的に電話をしてくれています。私はと言えば、母のことで必要があれば電話をする感じでした。以前、このブログでも書いたのですが、今年2023年4月3日に母のグループホームへの入所にあたり、予め、叔母に施設への入所のことを電話で言ったのですが、「電話では、まだしっかりしてるで、なぜ?・・」ということを言っていたので、私とは少し溝ができていた(と、私は思っていました)のです。

実は、今回は叔母に会うためが目的ではなく、たまたま私の友人が横浜で会おうというお誘いがあったので、せっかくなので、私はそれ以外の予定(私の趣味のソロロングライドも)を組んだ上で、その後で叔母に会おうと思ったのでした。予め電話をするとその日は大丈夫ということになり、たまたま義叔父は不在でしたが、私も数年ぶりで叔母の家に行ったのでした。

2023年10月30日(月)11時半頃に叔母の家に行きました。年月の流れは早いもので、私が20代に居候した家も流石に「古民家」(写真)みたいになっていましたね。叔母も義叔父も若くないので、昔ほど手入れができないのでしょうね。相変わらず、母と一緒で「もの」が大量にありました。

私が着くと、外に食べに行こうということになり、結構距離のある「木曽路」まで道すがら喋り、更に1時間半ほど昼を食べながらじっくり話ができました。電話で話すのとはやはり違いますね。私の近況も含め、母の今の状況、グループホームへの入所までの母の状況、入所の経緯、どんな施設か、施設の今後の対応、費用の負担のことなどをひとつづつ私が説明しました。

叔母にとって一番、気にしていたのは、どうもどんなところかということだったのかもしれません。それで私はスマホで施設の外観と個室の写真を見せたのですが、外観はまあ所謂「ハイツ」の3階建てで、立派なとはいい難いのですが、母の入居時の個室の写真(私と母が写っている部屋の)をみせたところ、顔が綻びて「いいところやね」という反応でした。私が思うに、叔母は介護の経験がなく、昔、私と母とこの叔母と一緒に行った私の祖母(母と叔母の母)の特養で、ガラス越しで見た鉄格子のある部屋のイメージだったかもしれませんね。介護の当事者でないと、今の色々な施設のイメージができないのではと思います。

その後、私としては、どうしようかと思ったのですが、母がグループホームに行く前日の母と私のやり取りを録音したものをスマホに残していたので、聞いてもらいました。母が「ずうっとここにいる。ここで死ぬ。どこにも行かへん。あんたに関係ない。ほおっといて・・・」と延々と私に対して言っているものです。叔母は、じっと聞いていましたね。

食事の後、叔母の家に戻り、今度は叔母の今の様子を聞きました。そうこうしている内に、叔母の家の横に家を建てた長男のKK君(私の従弟)がご夫婦で来てくれました。やはりほぼ10年ぶりかもしれませんね。私がその日の予定(新宿で友人と会う)があったので16時までで、あまり喋れなかったのですが、叔母がスマホでも電話しかできないことから、今年の7月からKK君とはLINEを繋げています。最近はよくLINEで母の動画や写真を送りますので、久しぶりで実際に顔をみて「年取ったなあ」という感じですかね。

今回、叔母と会ってみて良かったと思いましたね。実際に顔を見ることで、叔母の健康状態もわかりますし、相変わらず交際範囲が広く、喋りだしたら止まらない性格もそのまま!であることが確認できました。

それと生け花の方も、展示会が復活して、1月7日に大阪に行くかも知れないということでした。

そこで、私の言った一言、「それまでは、家(実家)は処分しないから大丈夫。いつでも泊まれるで・・」でした。