Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護98:「死という最後の未来」を読んで・・母と同い年?

 

私は、母と同年代の人の書いた本や、最期のことを書いた本を読むことが今まで結構ありました。介護をしていると、どうしても相手の考えてることが気になるのではと思いますね。それが、下の写真です。もうみんな女房がメルカリで処分したのでしょうね。曽野綾子さんの本も何冊か読みました。

2024年1月にたまたまブックオフで見つけたのが、表題の「死という最後の未来」です。母と同年代で、母が1931年(昭和6年)9月生まれ、曽野綾子さんも同じで1931年(昭和6年)9月生まれ(母と9日違い)、石原慎太郎さんが1932年(昭和7年)9月生まれなのですね。9月生まれは、偶然にも一緒ですね。まあ著者のお二人はインテリですが、政治的な立ち位置とかはともかく、死生観というか、母も含めてどうなのかと思ったのです。またタイトルの「未来」についても気になりましたので。

この本の対談は、2020年春頃、コロナの始まった頃の世の状況の記載もありますので、その頃と推定されますが、石原さんは当時87才で、その2年後2022年2月にお亡くなりになっています。この本の中では、元々ヨットなどスポーツマンだった87才の石原さんが、脳梗塞をやった後でも、毎日2キロ歩いて、スクワットを30回やって、家の中でも歩いて、トレーニングを欠かさず自分に課して、あくまでも生きることに執着して、「老いを睨みつけながら、ギリギリまで耐えに耐える。老いることに耐えなければ、すぐにへなへなと無気力になって、ぼろぼろと老いてしまう。それが怖いんですよ。」と言っています。

一方、曽野さんは、カトリック教徒であり、日本財団で途上国に行ったりした人ですが、運動が嫌いでまったくしなくて、「家事で動き回っているのと、(三浦での)畑仕事で十分。」と全く対象的で、死に対しても「私は今のままで十分ですし、この先の長生きも望んでいませんけどね。」「神様がお決めになることですから・・・すべてを自然なこととして委ねています。」と老いに何ら抗うところがないのですね。

人には死がわからないだけに、色々な考えがあっても良いと思うのですが、この対談の後の2年間の石原さんは、多分この通りのままで、最後まで執筆をされていたようですね。意志を曲げないのもこの人らしいですね。

この本の中には、お二人とも、もっと深淵な哲学というか、先人や知人の生きざまや死生観が豊富に書かれていますので、それはそれで色々と触発されました。お薦めです。

さて、私の母は88才頃までは、毎日決まった散歩コースをよく歩いていましたね。私も実家に行ったときは、この散歩につきあいましたのでよく覚えています。だいたい歩数にして3000歩。母が自分のガラケー歩数計をよく見ていました。石原さんと同じように、年齢に抗うように自分に課していたと思いますね。

その後、2019年の転倒がきっかけで、母は徐々に散歩ができなくなりました。今では、年齢とか日付とかの計算はもうダメですが、結構クリアな時もあり、グループホームの他の人の前では気持も張っているのでしょうね、ケアマネさん曰く、このフロアの中では、「一番しっかりしてはる」とのことです。多少の社交辞令もありますがね。

最近、母の口からよく出るのは、「死ぬ年(齢)が決まってたらええのになあ。」です。カトリックの曽野さんの域ではないとは思いますが、どうでしょうね。母は、まだまだ頭はしっかりしていると思いますし、きっと100才まで行かないと「最後の未来」には近づけないのでしょうね。

私はと言えば、今はただただ「年齢に抗って」、自転車(ロードバイク)のロングライドの練習を課しているのですが・・

note.com