Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護114:腎盂ガンで総合病院での診察は最後!・・もうここでの処置がない!

 

2024年3月22日(月)今日は、A診療センターの一番最初に診てもらったT先生の診察の予約が入っていたので、10時15分に母をCグループホームに迎えに行きました。

母はすでに受付で車椅子に乗せられて待っていました。出て来た母を介助して車に乗せるとCグループホームのHケアマネより、「ちょっと、お話が・・」ということで、車で母を待たせて、施設の受付で話を聞くと、先週くらいから母がお腹が痛い時があるとのことでした。

車の中で母に、「どこか痛いとこないんか?」と聞いても、「どこも痛ない!」というだけです。息子である私の前では、ほとんど本当のことを言わないのは前からですので仕方がないのです。

A医療センターに着いて、車椅子に乗せるのに介助しますが、やはりもう立つ動作も、歩く動作も無理ですね。急いで受付でカードを入れると血液検査の受付へ行く指示が書いてありました。その後、私はいつも通り遠い駐車場へ車を駐車させて母のいるフロントへ戻ってきて、すぐに母を血液検査の所に連れて行きましたが、比較的早く順番がきました。採血をして、11時から内科の待合室で30分ほど待っていましたが、その間の母との会話でびっくりしたのは、自分の部屋のテレビで昨晩は、エンゼルス大谷翔平選手の試合を見ていたというのですね。結構クリアでびっくりです。

その後、11時40分頃に、T先生の診察室に呼ばれました。

T先生は、先週のA診療センターの放射線科のM先生との話を再度私から聞く形で確認をしていました。私は今日の結論はほぼ解っていますので、同じことを確認するだけです。

私からは、今日の体重が44キロで一時の47キロからすると、太ももが少し楽になっていること、施設の食事は、ほぼ10/10と残さず食べていること、私の前では、痛みはないと言っているが、ケアマネからお腹が少し痛いときがあると報告を受けたことを伝えました。

T先生からは、浮腫を減らすのに、足を上げるとか、マッサージ(摩る)をするとかは続けること、利尿剤で多少は体重が減るが一定までとなることを言われました。今回ひととおりの検査結果から、これからは積極的な治療はできないので、今後は予想される痛みの対処となること、まずは一般的な痛み止めを処方し、それでも無理な場合は、オピオイド=医療用の麻薬(モルヒネもその一種)を使うことになることを言われました。

また、私からの質問で、血栓の箇所を再度確認しましたが、造影CT画像を示しながら「下大静脈」の上下でずうっと詰まっているとのことでした。私は、1点でどこかにできていると思っていましたので、これは認識違いでした。点ではなくて上下でびっしりな感じのようでした。まあ素人では、血栓って小さいものののように誤解しますよね。

ケア(終末ケア?正式名は?)病棟がある近くの病院を聞くと、O病院(個室20床で無料)、F病院(個室と相部屋あり有料?)、隣の市のK中央病院等がある由でした。また、どこも順番待ちであるので、早めに相談しておく方が良いことも言われました。また、今日は、癌患者相談の専門の看護師さんも来てくれていました。

また、A診療センターでは、今後できる処置がなく、施設(Cグループホーム)の提携病院のCクリニックに引継ぎをするので、ケア病院のことを含めて、Cクリニックの先生はご存知であるので聞いてほしいとのことでした。また、A医療センターの「ガン相談室」は、担当病院が変わるので利用ができないが、Cクリニックの先生と相談して再度の利用も可能とのことでした。というわけで、A診療センターは今日が一応の最終日となりました。

私からは、「あれ(告知)からだいぶ時間も経ち、私なりに色々調べて、まあ諦めもつきました。もう後は美味しいものを食べてもらいますよ」とお礼を言って別れました。

その後、待合室で待っていると例の看護師さんが出てきて、母に「今ではなくて今までに痛かったことはないですか?」と聞くと、母が「少し」とやっと言いました。看護師さんから「どの辺ですか?」と聞くと、下腹をさして「ここらへんかな」ということでした。

それで看護師さんから私に、「痛みが出た時の頓服で飲む薬もありますが、ずうっと飲む薬もあるので、先生に言って出して(処方)もらうようにします」とのことになりました。この看護師さん、本当に優しそうで、母も安心して本音を出したのでしょうね。有難いことです。

会計を待つ間に、フロントの出口あたりで、母に持ってきていた「イチゴ2粒」を渡すと、美味そうに食べていました。

イチゴタイム!!