Royue

80キロ離れた独居の母の介護を中心に起こったこと、その後の施設入所後のことを書いています。

介護141:東京から次女と孫(母のひ孫)が面会に・・ひ孫セラピー?

92才母の腎盂がんステージ4で、2024年5月4日に施設で転倒し、大腿骨骨折の手術で3週間入院、5月24日にホスピスへ転院し3日目と4日目の状況です。

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イカとメロンといちごを持っていく!

2024年5月26日(日)、母がホスピスへ転院して3日目、今日は14時に面会に行きました。私と女房と今までほとんど母に会いに行こうと言わなかった!同居の長女の3人です。母の部屋に行くと眠っていたのかしばらく目を開けませんでした。暫くすると私とわかっても、少し顔を動かすだけです。今日は、グループホームに持って行った写真を持ってきているので、母の顔の前にいくつかを差し出して、これ誰っ?で言いますが、反応が鈍いですね。いつも通りにひ孫の1才くらいの動画をみせるとこれには、少し笑みになります。また、今日も昨日と同じ1口サイズのスイカとメロンといちご(上の写真)を持って来ていましたので、看護師さんに「母は、冷たいものが苦手なので、常温でひと口をつけるだけでも飲ませてあげてください・・」といって容器を渡しました。約1時間ベッドの傍にいて、母に写真を見せては、これ誰っ?て聞いたりしていました。帰るまでに、スイカの絞り汁をひと口だけでも飲むところを見たかったのですが諦めて、仕方なく部屋をでて、ナースステーションの所で帰る時刻を書くのですが、その時に来た時に渡した果物の容器がそのまま机の上に置いてありました。まあ忙しいのでしょうね・・

私は、今日の母の状況をみて、もう残された時間があまりないと思いました。私がこれから何をすべきか考えましたが、できる限り面会に行くことぐらいしか思い浮かびませんでした。

その日の夜20時半頃に、東京にいる次女が6才の孫(母のひ孫)を連れて新幹線で来ました。たまたま前日の25日は土曜日で運動会があって、翌々日の27日の月曜日が小学校の振替休日とのことで、今日の日曜と明日の月曜を利用して、1泊で急遽駆けつけてくれたのでした。次女と孫は、このブログでも書きましたように、帰省の都度、Cグループホームで母との面会もしてくれています。直近は、春休みの3月19日でした。あれから2か月でこんなに変わるなんて・・

私自身は、母の弱った姿を6才の孫(母のひ孫)に見せるのが良いのか、少し気になりました。でも、次女が転院の様子を聞いて、間髪を入れないくらいの速さでわざわざ面会に行くことを決めたのにはびっくりでした。私が次女に聞くと「私自身の納得のはなしやから・・」と言うのですね。それにあとで聞いたところでは、孫が行きたいと言ったとのことでした。次女のこの「自分自身の納得」という言葉と、孫のKくんの話には、私はほろっとしましたね。

2024年5月27日(月)14時に、私、女房、次女、孫(Kくん)の4人で面会です。母は誰が来たかのかすぐに判ったようです。声は「か細い」のですが、Kくんの名前もきっちり言えます。昨日と全然違いました。これには、私はまあ仰天しましたね。どういうことなのでしょうね、モルヒネとの関係で母の状態が上下するのでしょうか、それとも「ひ孫セラピー」なのでしょうか? それと、看護師さんに聞くと、今日の午前中に風呂に入ったということでした。多分、5月4日の骨折後初めてではないでしょうか、これもあるのでしょうね。 

すいかを食べた!

Kくんも母のはっきりした反応を見て、今春の自分の小学校入学の写真等を見せては、はしゃいでいました。母も何回も笑みを浮かべていました。例によりみんなで昔の写真を見せて「これ誰っ?」とやっても、きっちり答えられます。なくなった父も長男(私の兄)もわかりました。こんなにクリアになるとは思いませんでした。Cグループホームにいた時よりも、冴えているように思います。母に今日も持ってきたスイカを食べるところをKくんに見せたいのですが、看護師さんも忙しそうです。そこで次女とKくんが看護師さんが部屋の近くを通った時に、そのことをお願いしたのです。そしたら、すぐに看護師さんが部屋にきてスイカを少し潰して母にスプーンで口に運んでくれました。皆で母がどう言うか見ていたら、母はしっかり「美味しい」と言ったのでした。それに看護師さんから、みんなで写真をとりましょうって言ってもらったので、撮ったのですが、東京から来たというと驚かれていました。

今回は、私はKくんが弱った母を見るのはどうかとも思いましたが杞憂でした。感謝しかありません。その後、新幹線の時刻があるので、母の部屋を後にしました。次女と孫Kくんの1泊2日の弾丸旅行(滞在約18時間)は、さぞ疲れたことでしょうね。有難う、感謝です。